私の家の前には、大きな池があります。この池には冬には冬鳥たちがたくさん飛来してきます。朝からとても活発で、この冬の時期はこの池は鳥たちの天国のような活気があります。他にもよくよく観察していたら、冬鳥だけではなく山からも山鳥が飛来しています。もともとこの池に棲んでいる鳥たちもいますから、この季節がもっとも賑やかになっているということです。
鳥たちは食べ物と育児などに相応しい場所に移動していきます。ある鳥は、何千キロも旅をしてでも場所を移動しては育児と食事を両立させます。またある鳥は、屋根裏に棲んでは私たち人間の近くで共生して生きています。私は烏骨鶏も飼っていますが、朝から元氣な鳴き声で一日をはじめ日中も気持ちよく鳴いては何かを啄んでいます。
朝もいいのですが夕方などは特に空気が澄んでいて夕陽と合わさった情景が美してゆっとりします。月夜や星空と一緒に白い鳥が飛んでいる様子などは幻想的です。日本の原風景のなかにこの冬鳥たちの過ごしている様子は欠かせず、いつまでもずっとこの風景が残り続いてほしいと願うばかりです。
冬の清々しさというものは何処からやってくるのか。厳しい寒さは、いのちをより引き立てます。小さな植物から昆虫、そして木々や動物にいたるまでそのものが必死に生きている姿を光と影で映し出します。厳しく辛く寒いというのは、その分、いのちはそれに反射します。
庭には山茶花や椿、南天があります。その緑色の歯が、日の光に反射してキラキラと眩く光ります。むかしの人は、この反射する光の眩さにいのちの光を感じたのではないでしょうか。宿っているということの意味や、依り代としての存在としての透明感や芯の強さを感じたのではないでしょうか。
冬に静かにいのちと向き合うと、耐え忍ぶ中にある元氣の根源を学べます。冬はいのちが甦る大切な季節です。冬の厳しさと有難さに包まれたことを忘れずに、春までのひと時を味わっていきたいと思います。