冬の山奥深くに入ると、生きものの気配がありません。静かな空気と冷気に包まれ、聴こえてくるのは水の音くらいです。この静寂は、動いているものの気配を引き立たせていきます。光や風もまた無為の様相です。
自然の美しさというものは、この静寂なかに直観するものです。野生の生き物たちは、自然に寄り添い自然と共生します。つまり野性とは何か、それは自然と一体になっている存在の物です。
いのちの危険に晒され、いつ死んでしまうかもしれません。安住安楽ではなく、常に緊張感をもって全神経、全感覚を研ぎ澄ましています。身の危険を感じれば、すぐに行動をし対応します。頭で考える暇などもなく、すぐに行動しなければいのちを失うからです。それを人間であれば野生の勘とも呼びます。しかし本来は、この全神経、全感覚をフル稼働していたのは原初の人類です。そういう危険がなくなってくることで、その野生の勘も不必要になってきました。そのことから生きる力も、現代社会で生きるための知識などに変換されてきました。日常は、情報化社会で常に知識を得ては未来を話し合うばかりで何も変わりません。
本来の危機感は、行動を伴うものです。危機だと言って何もしないのは、野性が失われているからです。動物は直前の危機は回避しますが、長い目でみて危機を事前に察知しそのために地道に改善を続けていくことが人類の知恵でもあります。しかしそのどれもが野生がなければ成り立ちません。
現代は理性も知性も磨かれていますが、野性はどうかというと反比例して減退しています。自然災害や人災によって地球が危険な状況になっていることがわかっていても、それが打開できないのは野生が失われているからかもしれません。
本来の野生から考えて、今、どう生きるのかということを直観することは自分自身になり自分を生きるためにも大切なことのように思います。引き続き、自然に学び野性を磨いていきたいと思います。