時代的な価値観があるなかで、むかしからその時代に影響を受けずに生き方を優先する人たちがいます。いろいろな不都合があっても、バランスを保ち本来の自分の決めた生き方を貫かれておられます。
私が尊敬する方の中には、もう高齢ですがずっと自分らしく自分を生きていく人がいます。人間だけでつくりあげた世の中ではあまり役に立たないようなところにいても、自然の中ではまさに天命を盡しているような方もおられます。私は本来、バランスというのは尊重し合う中にこそ発揮されるものだと思います。お互いの存在を丸ごと尊重し合うとき、それそのものが意味があるように思います。
若い時から、何かと比較競争され本来の自分というものの役割や使命などはあまり重要視されてきません。学校も企業も、どこにいっても比較や競争ばかりの世界に巻き込まれます。それでは本来の自分から誕生する初心も気づき難くなりそのうち初心があったことにも気づかなくなったりもするものです。
極端な例に聞こえるかもしれませんが、今、庭に飛来してきた鳩や雀にも本来の役割が自然から与えられています。止まり木になっているマキの木や紅葉にも役割があります。その役割を全うしてただ生きています。このただ生きるということの意味の中には、いのちの充実を感じるようなつながりがあり共に今を謳歌しています。
暮らしの醍醐味というのは、この今を謳歌することでもあります。いのちを分け合い、助け合い、つながり合うことのよろこび、そして足るを知る豊かさは私たち本来の存在の妙を再実感させてくれるものです。
時代がどう変化しても、私たちの暮らしの普遍性は永遠に変わることはありません。何を変えてよく、何を変えてはならないか、それは真に変化が観える人たちでしかできないものです。
自然は変化を已むことは一度もありません。人間社会のみが変化しないのです。変化の本質を忘れず、私はここに止まる生き方を発信し、子どもたちに暮らしの伝統を伝承していきたいと思います。