伝承の甦生

伝承に関わっていると、あらゆるものが伝承で行われていることに気づきます。神社の祝詞も神代の伝承ですし、仏教のお経も仏陀の生き方の伝承です。伝承は、単なる神話や物語などではなく自分の今を形成する一部であるという意識と共に生き続けているものです。

自分と別のものとして認識するというのは知識になります。知識になれば本来の伝承ではなくなります。本来は伝承が先で、知識はそれを理屈で説明するために用いるものです。

伝承は理屈では説明できません。なぜならそれは本来のあるがままの知恵や姿をそのまま保っているからです。今もむかしと同じようにまったく変わらず普遍的な本質を維持しているから伝承は保たれます。それは知識で得たものではなく、当初の感覚を今でも持ちながら継続されているときに発揮されていきます。

この太古から続く今への意識というのは、実践が必要です。実践とは、その意識を持っている人から薫陶や薫風を受けて伝授されたりすることもあれば、何かの切っ掛けで目覚めるものもあるでしょう。大切なのは、実践で甦生していくということだと私は思います。

この時の実践とは、身体を使って行動することです。そして意識や感覚を研ぎ澄ませていくことです。そして場に全てを投じて学んでいくことに似ています。繰り返し近づいていくうちに少しずつ繋がっているものや、結ばれているものを思い出すのです。

記憶というのは、単に知識としての脳にインプットされたものもあれば同時に魂の記憶のように先人や先祖たちが体験したものを受け継いでいるものもあります。言い換えるのなら、今の私たちの身体は一つの記憶装置の受け皿のようなものですからその記憶を伝承するときにある意味で力を発揮されるものかもしれません。

実践とは、単なる行為ではなく記憶の実践であり、伝承の実践です。私の甦生は、それを叶えようと取り組んでいるものでもあります。忘れても人はいつか思い出すものです。思い出すたびに大切な初心は磨かれ輝きます。子どもたちのためにも伝承の甦生に真摯に取り組んでいきたいと思います。

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