慈悲の経済

私は徳積循環経済の世の中を実現しようとブロックチェーンを活用していますが、そもそもこれは本来の経済を甦生しようとする試みです。そもそも経済は、いつもブログで書いていますが経世済民のことでそこから徳治が失われて単なる金融消費、資本主義だけになると人々の本来の幸福や仕合せから乖離していきます。

むかしから政治と経済も切り離すことはなく、どうやったら人々が幸福に暮らしていけるかというのが人々が最も関心があったものです。自然災害をはじめ、飢餓飢饉、そしてあらゆる困難を乗り越えていくために人々は社会をどのようにすべきかと向き合って様々な創意工夫で今まで生き延びてきたともいえます。

現代は、物質文明で消費経済のなか、自然環境は破壊され、過剰な欲望や個人主義による分断など、あらゆることが調わない状況が増えています。しかも、第3次世界大戦の様相で世界は今、まさに人類にとって大切な局面を迎えています。

こういう時こそ、私たちは歴史に学び直し、かつての先人たちがどのように社会を調えて人類が道を誤らないようにしたのかを発掘し直す必要を感じています。

現代、私が取り組む徳の循環経済はむかしの講の仕組みに似ています。結を形成し相互扶助の仕組みを実現して、人々の心を調えていくのです。これは単なる手段ではなく、目的であり人々が安心して幸福に暮らしていくために助け合いや協働の喜び、結び繋がりを大切にする仕組みです。先人の有名な講に佐藤信景の内密救助講、三浦梅園の慈悲無尽講、佐藤信淵の積立講、二宮尊徳の五常講があります。最近の世界ではグラミン銀行などムハマドユヌス氏が創立したものもあります。これは五常講に似ています。

私が今、ご縁がある三浦梅園では慈悲無尽講といい、国東の村中で事故・病気・飢饉などでまとまった額のお金を必要となったときに、金銭を用立てするための方法、およびそのために構成される組織を実現していました。

これによって、社会はもっとも弱い立場の人たちや経済一辺倒で失われていく生活文化を丁寧に守っていたようにも思います。貧困というものは、徳が失われると同時に発生していくものです。その貧困は、決して単なる物質的な貧困ではなく心の貧困です。心の貧困は、人々の心の中の孤独や無慈悲によるものです。

三浦梅園がなぜ慈悲無尽講を実践してきたのか。

その心の在り方や、あるべき本来の社会のありようを学ぶことは今こそ大切だと私は思います。本来の自律分散型の相互扶助の仕組みは何か、歴史に学び、今に甦生していきたいと思います。

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