徳の伝承者

私は伝統在来種の高菜を育てて食べていますが、これは伝承のために行っている実践の一つでもあります。伝統古民家や宿坊の甦生もすべて同じところからの実践です。

もともと短期的に自分の世代のことだけを考えて生きていたら、今までいただいてきた恩徳や先人たちの知恵と実践への感謝などを感じにくくなってきます。今の私たちがあるのも、今の仕合せがあるのもそのすべては先人たちが私たちに繋いできてくださった徳があるからです。その徳は、つながっている中ではじめて享受され感じられるものです。

先ほどの伝統在来種の野菜であれば育て続けて種を守り続けていただけなければもうそこで途絶えてしまい食べることはできません。それまで数百年から千年以上、その土地で大切にいのちのめぐりを一緒にしながら美味しく元氣に育ってくれたいのちがなくなるのです。

現代では、種も遠くのものを買えますし、野菜も自分の地域ではないところから送られてきたものを食べています。しかし本来は、食文化というように私たちのいのちそのものこそが文化です。つまり、その場所この今はいのちの文化の延長上に存在しているとも言えます。

いのちの文化は、長い時間、何世代もかけて繰り返し守り続けてきた中に存在します。だからこそその一員になることが今の仕合せを守っていくことになるのです。人は永遠に仕合せでありたいと願うものです。その永遠は、どうやって守っていくのか。それはいのちの文化を守り続けることで得られると先人たちは生き方で伝承してくださってきました。

自分のことだけを考えていたらその仕合せが長続きしないことを歴史や経験から学んだ先祖たちがみんなで徳の伝承者になる道を選んでくださったからこそ今があるのです。

時代が変わっても、普遍的な道は変わることはありません。それが自然であり自然の道だからです。不自然な道は長続きしないのです。子どもたちのためにも徳の伝承者としての実践を続けていきたいと思います。

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