懐かしい暮らしをしている人たちがいます。その方々は、その土地の風土と一体になって祖父母やその先の先祖が辿ってきた道の延長線上に同じような暮らしを現代でも試行錯誤しながら続けています。
産業は発展し、機械化も進んでいきますがそこは風土に見守られ、風土を見守り、節度をもって謙虚に暮らしておられます。お金にはならなくても、とても豊かで幸せな生き方を実践されている方々です。
私たちは百姓というと、何か農民で農業だけをするイメージですがこれは中世のころからそのように定着してきました。本来は、それぞれの姓を持つ公民ともいい、あるいはたくさんの職種や仕事を熟すエキスパートのような存在もいました。
むかしは、一つのことだけをするほどに余裕があるわけではなくあらゆることを熟しながら暮らしを維持してきました。専門職でなくても、それぞれの得意を活かしあって共にその風土の豊かさをいただきながらその自然から与えてくれる利益によって暮らしを味わっていきてきました。
自然の恩恵というものは、人工的につくりだしたものではなくまさに自然界が協力し共生しあって貢献することによっていただける徳のようなものです。その徳をみんなでわけあって循環することで私たちはこの地球で喜びと仕合せで暮らしを永続していく知恵をいただいてきました。
その自然の知恵を人間が勝手に使っては、徳を貪るように消費していけば地球での喜びや仕合せは持続できません。そのうち、徳が減れば減るほどに悲しみや不幸、苦しみが増えていきます。この世に陰陽があってバランスが保たれるように、極端に何かを貪ればその因果が応報して訪れます。
むかしの人はそうならないようにこの世の徳の循環をよく観察して、自然がバランスを保ち続けられるように人間に与えられた徳の役割を真摯に果たしていくことに集中してきました。
その証拠こそが懐かしい暮らしの中に、たくさん遺っています。
時代が変わっても、生き方は変わらない人たちはいます。何のために自分の生を使っていくか、それを覚悟して生ききる人たちがいるのです。百姓が今でもあちこちにいて、それぞれの志で一隅を照らしています。
そういう人たちが協力していきながら、むかしからの道を甦生させていくことが子孫のため、人類の明るい未来を創造していきます。私に与えられた天命は何なのか、よく深めていきたいと思います。