今までの世の中になかったものを形にしていくことは難しいことです。当たり前のことですが発明というものは、場数や努力の賜物であり自分の人生の体験の集大成でもあります。今まであるものと違うのだから、やってみないとわかりません。しかしそれが実現できると信じるからこそ、挑戦が本物になります。
また壁も理想が高く純粋であればあるほどに高くなります。それをするには、まさに偉大な御蔭様や神仏に祈るような心で取り組んでいくしかありません。しかし祈りだけでは実現しませんから、具体的に試行錯誤を繰り返すなかで本質的な発見をし続けていくことが必要です。そうしているうちに、人のご縁や繋がり、まさに天の声ともいえるようなことに出会い、結果が結ばれます。
もともと教科書に書いているようなことや、誰かが本にしたものの中に正解はありません。自分で経験して気づいて学んだものこそが智慧になり、それが発明の原動力になります。
自分が何に気づいたか。そしてどうそのものの本質から洞察したか。答えを探すよりも、感じる力を研ぎ澄ますことの方が重要になります。
トヨタ自動車の豊田喜一郎さんにこういう言葉があります。
「発明は知識そのものよりも、それをいかに自分のものにしているかにかかわる。学校を出ない人が往々にして相当な発明をするのはそれ故である。これを世の人のために活用し得るまでには、いろいろな研究と大きな努力がいる。その努力の中に発明が生まれてくるものだと私は思っている。発明は努力の賜である」
世の人が活用するところまでいくためには研究や努力が必要せまさにそれが発明そのものの成果になるということ。閃いたものを大事にしたら、それを突き詰めて形にしてそれをみんなが使えるようにできるかが重要ということです。
足を止めてみて、さらに一歩へと進んでいきたいと思います。