現在、学校という場所の役割が多様化しています。単なる知識を習得する場所だけではなく、多様化した社会に適応するように国家全体からあらゆるニーズが求められています。しかし、専門分野に特化して分類分けしてきた専門家集団によって形成されている学校が専門外のことを突然要求されるというのは大変な柔軟性が必要になるものです。
事実、学校で働く教員の負担はあまりにも膨大で一般的な公務員の仕事と比べても激務です。特に責任のある立場になると、それが余計に顕著になります。精神疾患が増えたりするのもこれらの環境をもっと国家全体で見直す必要がありますがそれを見直す官僚が同じような激務で似たような働き方をしているので常識が変わることがありません。
そもそもキャリア教育というものがあります。これはむかしでいう進路指導などとも呼ばれていたものに近いものですが、一生涯の進路を子どもたちが決めるのに寄り添う大切な役割があります。
現在、学校はとにかく就職に向けてどれだけいい大学に入れるかと知識を詰め込み、また学生たちも成績を上げていい学校に入れることだけを目標に目先の課題に没頭しています。働き方をどうしたいかや、何のために働くのか、世界ではどのようなモデルがあるのかなどをほとんど事前に考えないで気が付いたら平均の枠から取り残されないような状態にいることで安心していたりもします。
実際に、キャリア教育というものの本質は「一生楽しく働くことができるか」という問いに対して、とのような働き方のモデルがあるのかを探求していくことだと私は思います。
私自身のことを振り返っても、就職や起業するなどのモチベーションはテレビでみた有名人や偉人伝、成功者と呼ばれる人や親や先生の感想などから培われていきました。子どもながらに必死で情報を集めましたがたいした情報があったわけではなく、私の場合は幸運にも交通事故に遭い、受験期間がリハビリに追われ留学することにしたことで世界を自分で見て感じたことで視野が変わりました。
どんなこともやっていいという感覚はその時に直観したものです。そして周囲に仕事を心から楽しんでいる人たちとの出会いによって私のキャリア教育は充実していったように思います。
周囲の大人の働き方というのは、子どもたちに大きな影響を与えます。特に、地域に遺りたいという子どもたちこそです。現在は、漠然と遠くにいってみたいや都会の大学にやテレビでよく聞く大手企業にと憧れます。しかし実際にいってみると、その憧れでは長くは続かず自分自身がなんのために働くのかということに向き合い始めていきます。
だからこそ、地域こそ子どもたちが将来、どういう働き方をしていきたいのかに寄り添い、それはどの場所でもできることを証明していく必要を感じます。私が今、取り組んでいることも同じで大切なのは生き方についての場の創造です。
私なりにこの場から発信していきたいと思います。