昨日から国東の友人のところに来ています。ここは、古民家を甦生し自らで暮らしを親子でつくりこまれていてとても落ち着いている場があります。
子どものために環境をつくることを考えれば考えるほど、大人も子どもも共に暮らしをつくっていくことが大切であることがわかります。
本来、家というものは何を守るところか。それは、いのちを守るところです。このいのちとは、暮らしを守るということでもあります。
現在、暮らしというのはどこか労働に対しての休みの日のような使われ方をします。特に、暮らしに関する商品を売っている人たちは、暮らしというものをそれぞれで売り込みますから物ばかりが増えていきます。しかし本来の暮らしは、物もいのちがあり共に生きていますからそんなに増えても困ってしまうものです。
例えば、テーブルや椅子があったとしてそれは単に置いている物ではなくお互いに寿命を生かし合う仲間だとも言えます。
そういう道具たちは、いのちがあります。
私たちのいのちというものは、日本では古来から八百万の神々とも呼ばれ、共に暮らしてきたパートナーたちのことをいいます。
時代が変われば、パートナーの扱いと変わります。今の時代は、歴史を顧みても最もパートナーには過酷な時代かもしれません。大量生産大量消費のなかで、いのちは消えて心も蝕まれることが増えています。
そういう時代でも、そうではない生き方をする方々もたくさんおられます。
子どもたちの未来のためにも、一つずつ丁寧に暮らしを甦生させていきたいと思います。