真心の音感

調律というものがあります。これはもともと古代から楽器が傷んだときや音をととのえるときに使ってきたものです。この調律のはじまりと深めていると、ピタゴラスに行き着きます。このピタゴラスは、紀元前6世紀ごろの古代ギリシアの数学者、哲学者、音楽家で宗教家、他にもあらゆる顔を持ち、「サモスの賢人」と呼ばれていました。

このピタゴラスは、数から真理を発見した人でもあります。このピタゴラスは、調律をどのようにとらえていたのか。いくつもの遺した言葉からもその真意が垣間見ることができます。

「自分を知り、自分自身を律することが、人生の鍵である。」、「友達は旅の仲間であり、より幸せな人生を送るためにお互いに助け合うべきである」、「心の静けさが最も重要なものであり、その静けさを失うことが最も悲しいことである。」、「共同体は、個々人の美徳と能力に基づいて構築されるべきである。」、「美は調和の中にあり、バランスが美しい。」などあります。

またこの時代、医者でもあり様々な病気を治す方法が考案されました。その一つの音楽が人々の精神を癒し治すことができると音楽療法があったといいます。音楽が神聖なものとして、このような言葉も遺しています。

「音楽は魂を本来の姿に戻す」、「音楽は宇宙法則の反映である」、「病気の原因は魂の不調和である」、「音楽は魂を調律し、覚醒させる」、「音楽は心さえも通り抜け、魂にまで浸透する」、「弦の響きには幾何学があり、天空の配置には音楽がある」と。

そのピタゴラスは音律といって、今でも活用できるものを遺しています。これは一説によれば、鍛冶屋のハンマーで鉄を打つときにとても調和した音を奏でていてそれを研究して生み出したものともいわれます。つまり「調和」とは何かということを発見しているからこその物語です。

このピタゴラス音律と呼ぶものは、 音階の全ての音と音程を周波数 比3:2の純正な完全五度の連続から導出する音律のことです。 このピタゴラス音律は初期ルネサンスまでの西洋音楽の標準的な音律であり、また中国や日本の伝統音楽の音律も同様の原理に基づくものであるといわれます。そのピタゴラス音律は、約2000年後に平均律というものによって変わってしまいます。そしてどのような転調にも対応でき作曲家の多様な要求に応えうる音律ですが、ピアノが一般家庭に普及し始めた19世紀になって広く使われるようになるのです。

改めてここから音というものを認識するときにその音の正体というところまで深めてみると、それは音とは何かということです。私たちは音によって活かされ、音によって生きているともいえます。

その音をどのようにととのえていくのかは、自分自身というものと調和するためにも大切です。そしてこの調和こそが、音の本質であろうと私は思います。

調和がわかるということが、音をわかるということであり、調和する音を奏でることができるということは私たちが自然に回帰するということでもあります。何が自然で何が不自然かがわかるというのは私の言葉では絶対音感です。そしてハーモニーができる、つまり自他一体の境地、全体快適がわかるというのが調和音感です。

音はこの自然との共生を何よりも顕現させるものでしょう。引き続き、子どもたちのためにも真心の音感を伝承していきたいと思います。

 

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