遊行の歩み

現代は車社会でどこに行くのも車を使います。また都市部では電車などの公共交通機関が発達していて、終始遠くの距離を歩いていくことはほとんどありません。しかし思い返してみたら、むかしは歩くことが当たり前で一部、馬や船があったかもしれませんがそのほとんどは自分の足で歩いていきました。

改めて歩いてみると色々と見える景色だけではなく意識が変わっていくのを感じるものです。

例えば、歩きだすとある程度のリズムが必要になります。一歩ずつ歩いていくなかで、一定のリズムで歩きます。また休憩をいれるタイミング、そしてその場所など様々です。他にも時間帯によっての太陽の位置や風向きなども影響がでます。

特に今は、道路がアスファルトになっているので足も腰も疲れが出てきます。水分補給のタイミングや、トイレなどのこともあります。また歩く目的が巡礼であれば、時々に拝みつつ心を落ち着かせ供養をします。休みも休む場所によって色々と振り返り、また残りの道を歩んでいきます。

歩くときに、歩くことに集中すると人はそこで古からの道に出会います。乗り物にはない、自分の身体にしかない感覚を呼び覚ましていきます。

かつて、西行法師や一遍上人、良寛和尚や木喰五行上人なども遊行僧といって全国各地を巡り歩きながら修行僧が説法教化と自己修行を目的として諸国を遍歴し修行されました。これは行脚修行ともいい、本来の意義は歩き回ったり、経巡ったりすることだともいわれます。

歩き回ることで、その土地との地縁が生まれます。地縁を辿ると、不思議な邂逅があるものです。先人たちも歩いたであろう道、そしてその道すがらに見えてくる景色から影響を受けて懐かしい気持ちになります。歩いている中でしか観えない心の景色があり、その心の景色に心が揺さぶられます。

特に舗道ではなく、むかしの古道はより一層その情景を鮮明にしていきます。人生の旅路も似たようなものですが、自分の足で歩くということに集中してこそ本来の人間の道が観えるのかもしれません。

引き続き、遊行を深めていきたいと思います。

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