私たちは子どものときに、子ども時代というものを体験します。それは生まれてすぐのころから、物心がつくくらいまでの間にあまり覚えてはいませんが子ども心のままに周囲の世界を見渡して学びます。
この時の学びというものは、周囲がどうなっているのかでその時代に適応していくという学びです。これは人間に限らず、すべての生き物は生まれるたびに微修正をしてその時代に順応していこうとします。寿命が長い生き物はわかりにくいですが、寿命が大変短い生き物などは細かく修正をし続けて対応していきます。菌類などもよく観察すると、すぐに環境に適応しようと修正と変化をして生まれ代わります。
この代々生まれ変わると仕組みは、もっとも子ども時代が影響を持ちます。何らかの役割をそれぞれの個体が持ち、全体に役立つように変化していくのです。私たちは個別になり個人になりましたが、地球全体で観たら個ではなく繋がっている全体の一部です。
この体の体毛一つでも、一本の毛は個ではあっても体の一部ではあります。その体は見事に循環していてどの機能もどの部位も役割がないものは一つとしてありません。個だけを見ると関係がないように見えても実際には深く関係しあっています。先日も歯の治療をしましたが、歯は体の状態と影響しあい、歯をみれば健康がわかるとまでいいます。
歯も乳歯といって生後六か月頃から生え始め、二~三歳で完成します。それが六歳頃から徐々に永久歯と交代していきます。この時期の歯は、何のために生えてくるのか、そして永久歯と交代するのか。これは、先ほどの子ども時代の体験によってその時代に適応するという仕組みと大いに影響しあっていると私は感じます。
植物も同様に、種を蒔いて一世代が交代してまた次の種をつけていくまでに環境に適応していこうと種を微修正していきます。
つまり何が言いたいかというと、保育者や教育者はその道理や原理を自覚しそれだけ時代を先取りして環境を用意していく必要があると私は思うのです。
これを悪用すれば、管理するために刷り込むことでロボットのようにしていくこともできます。しかし本来の生命の原理からすれば、自然に未来を先取りしようとする子どもや種から学び、どういう環境にしていけばいいかと学び直すこともできます。
自然の道理で運ぶ世の中であれば、親孝行が当たり前ですが不自然が横行する世の中になれば子孝行こそ当たり前の道理になっていきます。如何に、子どもから学び直していくか、如何に種や菌から学ぶか。それが今の時代に普遍的な保育や教育の道理になろうと私は思います。
子どもたちの御蔭さまであることを忘れずに、日々に精進していきたいと思います。