それぞれの役割

人にはそれぞれに役割というものがあります。その人の分があります、それを自分とも言います。身体も同じく、一見、小さな役割の部位であろうがその部位が体の全体を支えているものもあります。骨折などをすると、特に足の小さな骨折であってもそれが全体を支えている貴重な場所であることはすぐにわかります。

私たちの身体というものは、一つも無駄なところがなくそのどれもが大切な役割を果たします。表面上は観えないものほど、重要な役割を果たすのです。現代は、目に見えることばかりが価値があると信じられている世の中ですから目に見えないような大切な役割をするところを価値がないとすぐに放棄したり蔑んだりするものです。

しかしその場所があることで、全体がはじめて機能するところもありますから目立たなくても、陰でひっそりとしていても、その重要性を感じるのです。これもまた役割ともいえます。

私はむかしから、この目に見えないけれど最も大切なものであったり、陰ながら何よりも支えている存在などに憧れてきました。なぜなら生命というものの本体は、その陰ながらの存在によって常に活かされていてその存在の偉大さに感動するからです。

何もなさなくても、地位も名誉も権威も権力もなくても存在しているだけで偉大なものがあります。実際には、そういうものがないものの方が価値を人間で裁くことができず真に偉大なものです。

例えば、水や太陽、空気も同様です。宇宙も同様に、人間の価値基準で役割を持っていることばかりをみんなで求め合いますがその物体ができる一つ一つは、陰ながらの無限の存在や役割によってはじめて成立します。

私が大好きなものに、炭がありますが炭もまた一つの役割の結晶ですがその炭を活かす存在は火であり木であり空気であり水であり菌です。役割は誰かからの評価ではなく、そのものの存在の理由です。

自分を知るということは、そのものの存在の理由を確かめていくことに似ています。

その人にしかわからないご縁、その人にしか与えられていない天命、安心して立命する日々の暮らしの営みのなかにその役割と喜びもあります。心を静かに、深く音を鎮め、感覚を研ぎ澄ませていきたいと思います。

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