懐かしい徳

昨日は、三浦梅園先生の生家のご仏壇と墓地にご参拝をしてきました。いつも清浄な雰囲気が佇むこの場所にはまるで今でもこの場所にいらっしゃるような気配があります。

私は古いものや懐かしいものに触れる機会が多く、他人よりもそういう気配を感じやすいタイプのように思います。特にこの数年、古民家甦生や遺跡のお手入れを続けていくなかでより一層感じやすくなっているように思います。

三浦梅園先生の墓地は、先生がご存命の時に散在してあったご先祖様のお墓を一か所に集めて丁寧に配置しています。こういうことをしようとするのは、なかなかできることではありません。田口正治氏が書いている、三浦梅園人物叢書にこういう文章が残っています。

「今登って来た参道はずいぶん急な坂道であるが、梅園は毎日三度父母の墓に詣ったという。老年になってからでも二度はかかさなかった。それは雨の日も風の日も、もし昼間所用があって果さなければ夜ふけてからでも必ず実行したという。梅園の長男修齢の書いた『先府君孿先生行状』にこのことを記し、「死ニ事(つか)フルコトカクノ如シ。生ニ事ヘシコト知ルベシ」とある。梅園は偉大な学者であったのであるが、同時に道徳実践の真に高徳な先生でもあったことを知る。」

私も参拝が5回目になりますが今回は特に松葉杖での移動だったため結構な気力が必要でした。三浦梅園先生は亡くなる二日前まで、欠かすことなくこの道を往復し日に三度ほど参拝されていたといいます。

こういう実践の姿勢こそ、懐かしいものを大切にする生き方であろうと私は思います。この経糸との意識があってこそ、私は徳を磨いていくことになるように思います。

世界はグローバルで横糸のことばかりみんな追いかけます。拡大も成長も、広がるばかりで慎むことや謙虚であることを忘れています。だからこそ、今のような日々に忙しくなるような生活になったようにも思います。

時代が変わっても、本来の人としての生き方、何を大切にして生きていくかはみんな同じです。三浦梅園先生の生き方から、これからの在り方をみんなで気づき直していきたいと思います。

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