先日、私たちが三浦梅園先生の生誕300年を三浦梅園生家で行った日がちょうど36年前に日本文化研究の第一人者であり、 日本文学の世界的権威でもあり日米友好だけでなく世界と日本を結ぶ懸け橋である恩人、ドナルドキーンさんがこの旧宅に来訪された日であったと人づてにお聴きしました。不思議なご縁に感動しながらも、日本人とは一体何かを求め続けておられた方が三浦梅園先生を訪ねておられることに共感しました。
このドナルドキーンさんは、1922年に誕生し18歳の時に「The Tale of Genji(源氏物語)」と出会ってから96歳でお亡くなりになるまでずっと日本の文学や文化の魅力を伝えることに没頭し、膨大な研究成果を発表し続けた方です。東日本大震災のあとは、被災地で懸命に生きる人々の姿を見て、「いまこそ、日本人になりたい」と日本国籍取得の決意を表明し日本人になられました。この姿に感動し、勇気をいただいた方もたくさんいらっしゃったことと思います。日本人よりも日本を深く愛した方という印象がありますが、日本人とはどういうものだと感じたのでしょうか。
私は直接お会いしたことがないのですが、きっと誰よりも日本人になられた方だったかもしれません。生前の様子からは、謙虚さや奥ゆかしさを感じます。もともとの源氏物語の何に感動したのかを調べると、「『源氏』の中には戦争はなかった。私が生きている現実とは反対の美しい世界が広がっていたのです」と。日本人に持つ平和感、美徳について何かを察知されたように思います。
この日本の美徳というものは、今はどこか遠いむかしのことのように語られます。しかし、現代においても日本人ならば必ずその美徳を持っているものです。震災の時に助け合う道徳的な姿であったり、人間として恥ずかしいことをしたくないと心に尋ねる姿勢であったり、真面目で正直、実直であったりです。
ドナルドキーンさんは東京から歴史的建造物が姿を消すことについて「日本人は繊細な国民なのになぜ平気なのか」と悲しんでおられたそうです。心が痛むところや懐かしい未来を尊ぶ姿勢にも日本の心を感じます。
日本の心はどこあるのか、私はそれは先人からの和魂、和の系譜の中にこそ今も生き続けているように思います。中江藤樹、熊沢蕃山、二宮尊徳、石田梅岩、菅原道真や聖徳太子、道元禅師など思想や生きざまの中に余韻がいつまでも薫ります。
日本を世界に伝えるということは、生き方で伝承するということでもあります。日本人になったドナルドキーンさん、お会いできませんが心に薫る美徳の人です。ご縁を感じつつ、自分の役目を果たしていきたいと思います。