私たちは一年の巡りを経ては顔や体にしわが入ってきます。樹木でいえば年輪というものができます。一年を経て一回りするのです。それが一つの寿命の考え方です。
年輪を多く持つ長寿の樹木は、長いものでは2000年というものもあります。それだけの季節を体験してきて今もまだ生きているというのはすごいことです。特に花を咲かせる樹木は、それだけの年数を花を咲かせたということになります。
英彦山の守静坊のしだれ桜も220年になります。この220年はどのような歴史の220年だったのでしょうか。英彦山は、色々な法難、そして火災、台風などにも遭遇しています。寒波もあり、桜を見守る宿坊にも誰も住まなくなるようなときもありました。枯死寸前にもなり、病気にもなり、その都度、奇跡的に生き延びてきたともいえます。
人は文字で何かを遺そうとしてきましたが、本当に大切なことは口伝としてきました。文字はいくらでも改ざんできるし、文字では伝えられないこともあるからです。そして口伝は、伝承者同士で行うためこれも簡単なことではありません。お互いに阿吽の呼吸で理解しあうものだからです。
その点、この樹木の存在による樹伝というものが私にはあるのではないかと感じるのです。勝手に言葉をつくっていますが、私は幼い頃から樹木の傍で育ち、神社の境内の樹木に見守られ育ってきました。
今でも神社に行けば、まずは樹木にご挨拶をして樹木が観てきたものを感じ取ります。自分も見ていますが、同時に樹木をこちらを観ていますから挨拶をするのです。
すると不思議ですが、何か感じるものがあります。それは何を見守ってきたのか、あるいはどういうものを観てきたのかということです。不思議ですが、その時に樹伝は起こります。
樹木は私たちに大切な言葉にはならないものを伝えてくれます。樹木が大量に伐採された明治以降、残っている樹木には大切な役割があります。これからも樹木と見守りあい、樹伝を伝承していきたいと思います。