昨日は御蔭様で、英彦山守静坊のサクラ祭りを無事に開催できました。とても清々しい天気で、朝から夜まで桜三昧の一日になりました。桜は、一日かけてじっくりと観察しているとそれぞれで魅せる表情が異なります。日の当たる角度や風の方向でもそして空の色や周囲の風景とも、そして自分が観る回数や心境でも変化はやみません。そう考えてみると、すべてのことは一期一会でその時にしか味わえない一瞬一瞬の世界を私たちは生きているということです。
今回は、かつてのこの宿坊の歴史を甦生しようとこの桜の時季に懐かしい仲間と集まり、共に地元の氏神様に祈り、ご先祖様に祈り、山の神様に祈りました。氏神様は弁財天で宗像神社ということもあり即興音楽と即興絵画を奉納しました。またご先祖様には、観音経と篠笛、フルートで大和音楽を奉納しました。夜は桜と山の神様にギターの倍音を奉納しました。有難いことに、いつも見守っていただいている存在に何かご恩返しできないかと奉納できる機会に恵まれることは仕合せなことです。
また尊敬する導師の修験者と禅僧と共に祈祷ができたことも喜びでした。裏方でいつも支えてくれる結の仲間たちの御蔭でいつも豊かに楽しく美味しいものもいただき、柔らかで和やかな場ができています。参加の皆様も、善い方ばかりでそれぞれで徳を積まれておられ有難く思います。改めて、いつもの温かい真心に感謝しています。
最後に、この懐かしい未来の景色を観たのはどれくらい前だったでしょうか。私たちは忘れているようで心の風景は忘れることはありません。忘れているようで忘れていないからまた集まるのです。
そもそも懐かしいというものは、懐と書くようにいつまでも守っているということです。何を守っているのか、それは忘れることはない人の思いやりややさしさ、そして真心のことでしょう。
時代が変わろうが価値観がどう動こうが、人として大切にしたいものは変わることはありません。それが懐かしさの本質なのです。私たちが懐かしいものに触れて愛を感じるのは、いつまでもその真心が宿っていることに気づくからです。
この英彦山の宿坊やしだれ桜が守ってきたものは、その懐かしい真心であることは揺るがない真実です。この先も、微力ながらも一つの役割を多くの先人たちからいただいているので大先輩のしだれ桜や宿坊に見守られながら丹誠を籠めて甦生に取り組んでいきたいと思います。
また来年、この時季に皆様にお会いできるのを心から楽しみにしています。