伊勢神宮にはお蔭参りというものがあります。これはざっくりだと江戸時代を通して御蔭年ともいえる約60年前後を周期で1650年より御師 (おし) や豪商の扇動からはじまったともいわれます。この「御蔭年」というのは、伊勢神宮で遷宮があった翌年のことです。江戸時代には遷宮の翌年は、特に御蔭(恩恵)が授かるとされて伊勢神宮への集団参詣が流行したといいます。
その頃の人口でいえば6人に1人は、伊勢神宮詣でをしたといいますからこれは大変なことです。今のように車も新幹線も飛行機もない時代に、遠くから歩いて伊勢神宮まで詣でるというのは命懸けです。しかも、ほとんど歩いて老若男女問わずそして犬までもとありますからどれだけこれがその当時に価値があったかがよくわかります。これを支えたものが、伊勢講を中心とした講の組織です。積み立てをしたり、みんなで支えたり、代表者がお世話をしたりと伊勢神宮が詣でることができるようにと助け合いました。
本来なら、そのまま今の時代でもそうなっているはずですが戦後にアメリカのGHQより伊勢講といったものやそれまでの仕組みがすべて解体されました。その後は、伊勢神宮周辺は荒廃して場も乱れ、苦しい時期を迎えます。そこに英彦山の山伏の子孫、鷹羽小三郎(志士、鷹羽浄典の弟)が伊勢古市にある備前屋に養子に入り太田小三郎となって伊勢神宮の尊厳を守る為に神宛会をつくり復興や甦生、場を調えることに人生を懸けて伊勢神宮に人がまた集まるようになりました。
そして最近では、餅菓子で有名な赤福が江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現した「おかげ横丁」ができます。今では伊勢に訪れる人が増えて1年間に600万人を超える方々が来られるようになっています。話は少し逸れますがこの赤福の言葉の由来は「赤心慶福(せきしんけいふく)」という文字からきています。これは赤福の社是で、「人を憎んだり、ねたんだりという悪い心を伊勢神宮内宮の神域を流れる五十鈴川の水に流すと、子供のような素直な心(赤心)になり、他人の幸福を自分のことのように喜んであげられる」という意味だそうです。
私も伊勢神宮に来ると、必ず赤福や白鷹に寄ります。この伊勢詣でと参道のお土産やお店はなぜかいつもセットになって記憶に残ります。日本の各場所に、そういう場所がありますが懐かしい何かを感じます。
話を戻せば、この信仰と経済というものはむかしから密接に関わっているものです。経済的なところで広がりつつも、大切な信仰は守られるというバランスが大切だということです。
現在の日本では、政府の補助金を使いいろいろな観光プロジェクトが広がっていますが批判はしたくありませんが残念なものばかりでかえってしない方がよかったのではないかというものばかりです。
聖なる場所がただ穢れていくだけのような経済の導入や、信仰や尊厳を損なうような経済活動、見ていたらかえって大切なものを破壊していくようなものばかりです。
歴史を善く学び直し、どうあることがもっとも信仰や尊厳を保つものなのかをちゃんと学んだ人が本来はそういう甦生業に関わる必要があると私は思います。そういう意味で、神社の傍や信仰の傍に長い年月で徳が磨かれ研ぎ澄まされてきた老舗があるというのは心強いものです。
私も、私なりに私の役割を果たしていきたいと思います。