世の中のことを知るのに情報というものは善い面とそうではない面があるものです。何かを知ることで私たちは行動を決めますが、その知ったことが本当かどうかを確かめる方法はそれぞれの判断に由ります。
その情報は誰からのものか、そして信用できるものかなど、情報のみならずその情報の入手経路などで判断も変わってくるものです。そしてもっと突き詰めると、何が本当かというのは本当はわからないものです。
例えば、現在の科学で証明できないものを正しいかどうかを判断できません。また信頼できる専門家であっても、その専門家の知識の範疇でしか理解していないものを正しいかどうかわかりません。また意図的に操作された情報においては、詐欺に引っかかるようなものですからそれも巧妙なものがたくさんあり見分けがつきません。
そう考えてみると、何が本当の情報かというのはどれだけ気を付けていても見極めることが難しいのです。しかしそれでも本当の情報に近いものを選択して私たちは判断をしていく必要があります。私はある程度は、情報に騙されないようにテクニックは学んだとして残りの判断は歴史の感性と自然の感覚というものに頼ります。
歴史の洞察は、本来の生きた歴史のままに歴史と共に生きている意識と真の歴史を学ぼうとすることでその感性は磨かれます。
そして自然の感覚というのは、直観ともいいますが本当のことをかぎ分けるものです。なんとなく嫌な感じがしたり、怪しい感じがしたり、何かの予感があったりする。本能が教えてくれるような感覚です。
野生の動物などは、自然からその感性を磨いています。人間もむかしは、自然と近い距離で暮らしていましたからその感覚は養っていました。都会に住み、便利になり感覚を研ぎ澄ますことがなくなると情報の取り方が変わってきます。人間が出す情報は、ほとんどが誤情報ですから自然の情報を学ぶ機会も減り、さらに情報は錯乱していくものです。
いつの時代も情報によって私たちはいのちを永らえてきました。情報が正しく、そして末永く人々を導くように改めて情報への学び方を学び直すときかもしれません。
子どもたちに情報の取り組み方を伝承していきたいと思います。