偉大な人

私たちは、もともと根源というものを持っています。これは原始ともいえます。この根源や原始の感覚というのは、知識をまた前の自分ともいえます。

知識を持つとそこが起点となり、根源や原始の感覚を忘れていくものです。これは経験や体験が増えていくにつれて仕方のないことともいえます。

しかしふとしたことから、例えば死にかけるような体験、あるいは生まれ変わるような体験を通して目覚めて、それまでの知識を削り取っていくような学びの削除に向かっていく方々がおられます。

つまり根源や原始に近づいていくような生き方です。すると、現代の価値観からはかなり遠ざかってしまつことがあります。

そうなると奇人変人とも言われ、狂っているとも言われたりするものです。

しかし、それは人々に知識があり、その知識を通しているからこそ、そう見えるというものがあります。知識がある人は知識がない人を狂ったように感じるからです。

これは子どもや老人だと、仕方ないと受け入れてもまともな成人であればなかなか許されないことです。しかし、そうではないこともあるのですからよくよく考えないといけません。

人類は偉大な人たちによってたくさん助けていただきました。偉大な人が育つ環境をととのえていくことが子孫のためにも必要です。

これからの時代の学び方を伝承していきたいと思います。

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