在来種のふりかけ

「ふりかけ」というものがあります。これを知らない日本人はあまりいないと思いますが、日本の食文化の一つです。ご飯にかけるふりかけは、一度は食べたことがあると思います。

このふりかけを調べていると色々と面白いことがわかってきます。もともとの起源は、鎌倉時代の『厨事類記』に鯛・サケ・サメの肉を細かく切り塩干しにした「楚割(すわやり)」、「はなかつほ(花鰹)」すなわち削り節のことが記されます。 また、室町時代の大草流の料理書に赤飯にごま塩を添える祝儀食の作法にもふりかけの源流があります。あくまで想像を膨らませていけば、きっと縄文時代くらいから食べ物の残りかすのようなものや、削ったり、石臼などで粉にしたものをふりかけていたように思います。私たちは、ものを捨てない民族でしたから最後の少しでも工夫して使っていたはずです。それだけ、食べ物を大切にしてきたことが食文化の中心にあるように私は思います。

現代のふりかけになっていく変遷は、1913年の大正時代のころになります。これは熊本県で当時薬剤師として働いていた吉丸末吉氏が、日本人の栄養不足を心配して考案してからだといわれます。これが当時大人気になって現代のふりかけの原型になったそうです。今でも熊本にあるフタバという会社が引継ぎ、「御飯の友」として販売を続けています。それまでは、「~の友」という商品名でしたが1959年の昭和時代のころに全国ふりかけ協会が設立され「ふりかけ」という名前になります。

その後は、有名な丸美屋がのりたまのふりかけを開発してそれがアニメとコラボしらこともあって子どもたちに大人気となりふりかけが子どもたちに食べられるようになりました。今ではふりかけは子どもの食べ物のように言われることもありますが、本来は大人が食べる高級なものばかりだったといわれます。

時代の変遷と共にふりかけは変わらなくても、ふりかけの用いられ方は変わっていくのは当たり前です。在来種の高菜を使ったふりかけもまもなく完成しますが、故郷にいつまでも懐かしい味が残り続けるように取り組んでいきたいと思います。

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