すべては種のために

私がこの在来種の高菜を販売していくようにしたのは、故郷の伝統野菜を子孫へと引き継いでいきたいからです。そしてこの美味しい味を後世に残していきたいからです。現代では、大量生産大量消費、そして農薬や肥料や改良された種の野菜が出回るなかで本物の古来からある種や味を食べてもらいたいということもあります。

伝統在来種がこの種と味になるまでに千数百年、あるいは数千年の年月を経てこの土地と風土でここまで辿り着いてきたものです。これは先人たちの汗と涙と苦労の結晶ですし、共に厳しい自然を生き抜いてきた仲間としての愛情もあります。

今さえよければいいと、安易に改良をして歴史を途絶えさせたり或いは安価で便利だからと先人の智慧よりも目先の科学技術を優先すれば取り返しのつかないことになってしまいます。

これはこの伝統野菜だけの話ではなく、人類の話も同じです。

今の私たちがあるのもまた、人類がはじまってから遥かな歳月を経て今に至ります。私たちの身体をはじめ、智慧の数々は先人たちの汗と涙の結晶です。その大切ないのちをどう次のために使っていくかというのが私たちの本来の使命です。

すべては種のためにあるといっても過言ではありません。

その種を守るためには、伝承をこの時代でも丹誠を籠めて取り組むしかありません。その方法は、伝統の革新、また本物を提供するということです。伝統の革新については、この時代でも美味しいものをさらに追及するということです。美味しければこの時代でもたくさんの方々の賛同が得られみんなで食べ繋いていけます。費用も時間もその価値に見合うものになります。そして本物については、誤魔化さずに正直に取り組むことです。作り方から育て方、そして加工の仕方に至るまで先人たちの智慧、自然の仕組みにこだわることです。

そうすればこの種をいつまでも守っていくことができます。そして同様にこの種の道を守る仲間が増えていけば、そのうちお米が田んぼ全体に広がっていくようにこの種もまた広がっていきます。

この日子鷹菜にはその未来へ種を託す願いが込められています。

民主主義をはじめ資本主義の中では民衆が賛同したことが正義です。主義というのはそういうものです。しかし、先人たちへの深い感謝と未来の子孫へ恩を譲るために徳を積んでみようとするのがこの試みです。

購入ではなく喜捨のつもりでこの日子鷹菜に関わっていただけますと幸甚です。徳積堂でも、この日子鷹菜を美味しく食べられる場を用意しています。また一緒に農作業のめぐりを体験し種を持ち帰ることができる行事も実施しています。ぜひ、足を運んでいただけますと幸甚です。

ありがとうございます。

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