暮らしの喜び

現在の祭事などは、イベントのような雰囲気があるものです。しかし実際には、大勢の人たちがきて多額の費用がかかり派手に開催するイベントとは別に暮らしの中で暮らしの一部として丁寧に繰り返し行われるお祭りとは別の雰囲気があるものです。

この理由は、イベントはその時だけでプロジェクトとして実施することになりがちですが暮らしの中のお祭りは日常の中で当たり前に取り組まれていくものです。特別なものではなく、日常であるというところが異なるようにも思います。

この暮らしの中でというのは居心地がよく余計な大変さがありません。肩をはったり我を出したり派手に振舞ったりすることもなく、いつも通りに当たり前に実践に取り組むのです。こういう暮らしの中のものには、生き方が顕現してきます。

例えば、信仰においても暮らしの中での信仰はとても静かで穏やかで落ち着いたものです。一人でも丁寧に行っているものをいつも通りに決めた日時に実践していきます。特段、普段と変わらず暮らしの一部です。

いつも通りというのは、いつもそうであるということです。その時だけのものというのではありません。

私たちは忘れてしまっていますが、本来は誰かに見せるものでもなく何かに評価されるものでもなく、大勢に知ってもらおうとするものでもないものが暮らしです。

暮らしを安心して営んでいくなかにこそ仕合せや幸福があるからです。先人たちはそういう場に触れたり、そういう暮らしに入ることもまたご縁であり喜びでした。

色々と思うところがあり、現在の世の中の流れと逆行することも増えてきましたが暮らしの喜びを優先して日々を積み重ねていきたいと思います。

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