私たちは場の中でそれぞれの人生の物語を実感するものです。その場は、一つの人生の舞台でもあります。その舞台は何度も時を変え、人を変えその場で物語の一つのシーンを創造し続けます。
例えば、昨日の場で今日は別の物事がある、その時点で舞台は変わりませんがシーンが巡ります。私たちは、自分を舞台の主人公としてしか見ていませんからどうしても見えるシーンは自分が中心になって繋がっている物語です。しかし場や舞台から観てみると日々に別のキャストがあり別の物語が繋がっているのです。
もしもこれが100年経てば100年の場が生れ、1000年であれば1000年の場になっている。これが100万年でも同様です。私たちは場の持つ物語の一つを今、感じることができているということです。
だからこそ研ぎ澄まされ洗練された場にいくとその場の中の舞台の物語に溶け込んで自分もまたその場の影響で濁りが薄まり浄化されたりするものです。
私たちは自分側の視点ばかりが強くなります。しかしよく全体と調和するとき、そこには場にあるすべての物の視点があることに気づくものです。その場の視点に気づくとき、私たちは日々に新しい物語をみんなで演じあうことになります。この演じる中には、宇宙全体の星々をはじめ空気や風などあらゆるものが登場していることに気づきます。
そういう感覚を持っていることが道を知る心であり、場を創造することができる人です。場を創造するというのは、普遍的な道を調えることができるということです。
私たちはつい人の方に注目してしまいますが、私はすぐに場の方に意識が出てきます。場は、全てを載せる器となりその器は時を超えて物語を育て続ける根ともなるのです。
根がある場には、自然に芽も出て花も咲き実をつけます。大切なのは、場をつくることです。
私の場の道場では、その場の持つ徳性を学び、場を感じる豊かさを伝道しています。まさにこれは江戸時代から続く心学でもあり、実践哲学でもあり、日本古来から伝来する和の真髄でもあろうと思います。
来週日曜日に飯塚の場の道場でまた新たな場が誕生するのが楽しみです。