共生の道

自然というものの一つにお互いを活かしあうというものがあります。自然をよく観察しているとそれぞれが自分あるがままにいて周囲を活かします。あるがままであることでよく周囲を活かします。これはお互いの善いところを認めて共生しようとするからです。

何でも受け容れて順応していくということ、これは全てを委ねることに似ています。無理して流れに逆らわずに、自然の流れに従って委ねていくということ。これは身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの故事と同じ境地です。

例えば、何かの出来事をやろうと決めてそれを行うときに予想もしていなかったことが色々と発生します。最近であれば、大切な行事でコロナ感染があり急に内容を変更することになりました。色々とあっても無理をしない、自然に任せて流れに任せようと柔軟に対応しましたがそれは軸があるからできることです。

この軸というのは、重心ともいえます。どこに重心があるのかが決まれば、浮いていても流されるけれど流されていないという状態になります。つまりは、浮いているけれど溺れていないということです。これを無理をして、ジタバタしたり溺れまいと力んでは必死に泳ぐとかえって流れに逆らい軸を失います。

どこかで絶対安心の境地であったり、常に全体やご縁や初心などの本質や布置を見失わないように重きに任せていると自然にその時々の最善に出会います。最善というのは、ある意味諦めの境地であり委ねている境地です。この諦めや委ねるというのは、いのりに似ています。人事は盡すけれどあとは天命にお任せするということです。

私のメンターの一人は、この信楽の境地を「全てお任せ」と表現して体現しておられました。別の言い方では、お気楽極楽だとも。その実践をするのは、如何にいただいているものや存在に感謝しているかという心の在り方にもつながります。

松下幸之助さんにこういう言葉があります。

「自分も生き、他人も生かす」

「意見が対立すると、ともすると我を張って人に自分の考えを無理強いしがちである。あるいは反対に、投げやりになって安易に妥協する。しかし、両者の良いところを生かしあってこそ、より優れた考えにもたどり着けるのである。何事においても、自分も生き、他人も生きる道を求めて歩みたい。」

対立しないというのは、和合しているということでしょう。そしてこの和合とは、善いところを活かしあう、自他共に生きる道、つまり共生の道を歩もうということでしょう。

自然は、常に共生の道の上にいます。そしてその道を、ずっと子々孫々が続いていきます。私が生れる前よりあったものを、今の時代でも自分の人生でも生き切っていきたいと思います。

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