月の陰徳

今日は、徳積堂の十五夜祭を開催します。もう取り組み始めて3年目になりますが、この行事は大変人気でいつも席が足りません。お月見と音楽の調和は美しく、懐かしい秋の風情に心が深く癒されます。

もともとこのお月見の行事は想像してみるときっと縄文時代よりもずっと前から人類は夜に月を眺めては月が実りを見守ってくれているのを感じて暮らしの中で自然に行事をしていたように思います。

特にこの秋の澄み切った空の月の光を浴びると、心の深いところまで照らされるように清らかな夜にいのちへの感謝や恵みへの恩徳を思ったのでしょう。

今日の室礼は、そのお月さまやご先祖様への感謝と供養を籠めてお月見団子やススキや、芋を使って行います。

まずお月見団子は、満月に見立てます。このお月見の団子は農作物の豊作をいのり感謝する意味があります。一般的に十五夜から因んで一寸五分の大きさにするといいと言われます。一寸五分とは、約4.5cmくらいです。また十五夜なので団子の数も15個がいいといいます。それに月の光を浴びせては力をいただき、みんなで食べて元氣やいのちをいただきます。

またススキは、本来は収穫した稲を飾っていましたが稲穂がなくなっているので実がついたススキを稲に見立てたといいます。ススキは魔除けの効果もあることから、農作物を災いから守るといわれます。月の光を浴びて透明にキラキラと輝き、風にたなびく姿は心を静かに安らかにします。

そして芋名月といって、サトイモやサツマイモなどを使ってお供えして直来でいただきます。これは稲作が始まる前の、田イモ、サトイモを食べていたころの風習の名残です。芋の美しい白さや形が月に見立てられ、またこの時期独独の旬の甘みや香りにはうっとりします。芋を使って、様々な調理をし、芋が主役になる味わいも格別です。

この徳積堂の十五夜祭は、もともと月を眺めるのに徳があると信じるところから開始したものです。私たちは夜に月を眺めて、月を祈り、月に感謝するとき、いのちの中にある深く厚い徳を感じるものです。ただ月が夜空にあるだけで仕合せ、ただ月が見守ってくださっているだけで喜びになる。

陰ながらいつも地球を、そして私たちを見守ってくださっている存在に気づくことのなかにこそ、陰徳があります。お月さまはまさに陰徳の象徴だと私は思います。

暮らしフルネスの豊かさを、今日も皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。

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