正に勝つ、吾に勝つ、速やかに清らかに。

本日、英彦山の守静坊の仙人苦楽部では合氣結びの仙人が来られます。もともと英彦山でお祀りする神様は正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)といいます。

この神様は、天照大御神の御子で天安河にて須佐之男命が行った誓約によって生まれた神様です。また別名に、天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)とも言われます。この神名の「ホ」は稲穂のことをいい「ミミ」は実をたくさんつけて頭を垂れる稲穂のことで「立派に実った大きな稲穂」という名でもあります。稲穂の神、農業神として信仰されています。

名前に「勝」が三つも入り印象深い名前ですが、これには理由があります。この神様はもともと素戔嗚尊が天で自身の清い心を示すために生んだ五皇子の長男です。日本書紀』神代紀第六段では素戔嗚尊は天照大神の前で「自分の心が清らかならば男神が生まれ、そうでなければ女神が生まれる」と誓約をしました。そして天照大神に借り受けた八尺瓊勾玉をカリカリと噛んで掃き出し五皇子を産みました。誓約に勝った素戔嗚尊の勝ち名乗りが「正哉吾勝」「勝速日」と考えられ最初に生まれた天忍穂耳尊の名前の一部となったという伝承です。その時、天照大神も同時に素戔嗚尊から草薙剣を受け取って宗像三女神を産んだといいます。そして誓約が終わったあと天照大神と素戔嗚尊は剣と勾玉を返すという形でお互いに生んだ子を取り替えたという伝承です。

まさに英彦山には、この伝承に相応しい場所があり神様としてお祀りされて今も息づいて遺っています。

今回、合氣道のご縁をいただいたのにこの正勝吾勝勝速日天忍穂耳命が深く関係しています。その理由は、合気道の開祖である植芝盛平氏が「真の武は、正勝、吾勝、勝速日であるから、いかなる場合にも絶対不敗である。」と語っていたことにも由来します。もともとこの正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は『吹き棄つる気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)に成りませる神』といわれます。

その植芝盛平氏の口述録『武産合気15版』にはこうあります。

「剣を使う代わりに、自分のいきの誠をもって、悪魔を祓い消すのである。つまり魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合氣道のつとめである。魄が下になり、魂が上、表になる。それで合氣道がこの世に立派な魂の花を咲かせ、魂の実を結ぶのである。そして経綸の主体となって、この世の至善至愛なる至誠にご奉公することなのです」

まさにこの気吹によって、というところに和合の根本があるのかもしれません。

そして植芝盛平氏の道歌にはこうもあります。

「正勝吾勝御親心(おおみごころ)に合氣してすくい活かすはおのが身魂ぞ」

ということで、英彦山の守静坊で合氣道を学ぶことはこの場所の根本ルーツを学び直すことにも結ばれるように直観しました。

現代のまさに世界大戦や環境汚染、人心荒廃や金融の奴隷のように全ての生命が軽んじられる現代において最も必要なことはこの『和合』であるのは日本人ならきっと誰もが心の奥底では感じているはずです。

垣根を超え、世代を超え、世界を超え、人種も未来も過去のしがらみなどもすべて超え、まさに全宇宙、あらゆるいのちの全てを超え、和合して一つになって問題を解決していこうとする場が必要だと私は何よりも感じています。

和合を学ぶのに英彦山ほど素晴らしい場所はこの世界にはありません。子どもたち、子孫のためにも世代の責任として真の平和、そして人類をはじめ地球の真の調和を志、正に勝つ、吾に勝つと速やかに清らかに場を磨き続けていきたいと思います。

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