捨てるということ

人生は選択の集積ですが、そこで要らないものを捨てていくという作業をしています。自分には要らないと思うものを捨てていくのですが、実際には捨てれないものばかりが出てきます。この捨てるというのは、磨いて削るということでもあります。実際には、簡単に手放せるものではなく何かのたびにそのものと正対してそれを体験し、そこで学んだことを糧に自分を変えていくということです。

つまり人は一生懸命に、自分の初心を貫いていくように生き方を定め道を歩めば自然に磨かれて削られていく。その最中、私たちは何かを捨てているということになります。

そして同時に拾うというものがあります。この拾うというは、新しい発見やご縁に恵まれるということです。私たちは、自分という玉を磨いて光らせていけばいくほどに余計なものを捨てていき、同時にその光によって新たなものを反射させていくことで拾うということです。

人が手で持てるものはほんの少しです。いくら持とうとしても自分にもてる限界があります。では何を持つか、いや、何を持たないかということです。その持ち方においても、ずっと持つや、大切に持つや、一端持たないか、持つことを忘れるかなど、色々と経験します。そうやって、捨てることや拾うことの他に捨てないや持たないなどということも学びます。そして、持させていただいていると境地や、捨てさせていただく、拾わせていただくといった磨き方にまで発展していきます。

この要らないものを選択するという行為は、磨き方に結ばれ、ただひたすらに磨く喜びに出会い続ける道です。

磨く喜びは、毎日、この今、一瞬の中にあります。どのように磨いていくのか、そして磨きたいかは、その人の一生をずっと彩りますし、その磨いた光は子孫代々まで続いていきます。魂の本体は、この光にあり磨く中で自覚するものかもしれません。

徳を學ぶということは、シンプルに言えばこの磨き方を學ぶということでしょう。

子孫のためにも、今を丁寧に磨いてすべてから學んでいきたいと思います。

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