昨日は、福岡の田んぼで稲刈りがありみんなで集まって竈でご飯を炊いてカレーを食べました。カレーの具材は、先日の十三夜祭でご神前に奉納した供物が中心でした。収穫続きの秋の実りの喜びを感じる一日になりました。
今回はいつもの収穫とは別に、稲藁を収穫しそれをビニールハウスに運び干しました。この稲藁は今度の古民家甦生のときの内装に使う予定にしています。自分たちで調達した素材で自分たちでつくり上げるところまでをやり遂げる。
これは生産者の喜びであり、仕合せなことです。
そもそも生産とは、消費の対極にあるものです。消費とは、生産をせずにひたすら消費の方法を考えることです。現在の金融関係や投資なども消費を優先して展開されています。実態がなくても、消費すれば善としそのために数字上で大金が動きます。
しかしよく考えてみると、すでに今の消費をみたら2030年には地球2個分でも足りない計算で人類は消費しているといいます。あと5年後には、この地球からほとんどの資源が失われていてその消費を支えるためにクローン技術をはじめ、遺伝子組み換え、大量に増やす昆虫食など悍ましい科学が研究されそれが当然の様相です。
人類は一体何がしたいのかと疑問に思いますが、それだけ消費を優先してきたことで富を増やすことだけに専念してきたから富が架空のものになってもその富を追い続けることしかできない状態に入ってしまっているのかもしれません。
人間は環境に左右される生き物ですから、何が本当の環境問題なのかを今一度見つめ直す必要を感じます。
そういう意味で本当の農業とは、地球の生産を助けるものです。ちゃんと農をみんなで取り組めば地球半分でも十分に私たちは暮らしていくことができます。もっと言えば、地球が生産してくださるその利子だけで生きていくことができます。
例えば、私たちが飲める水は地球上の0.01パーセントで賄っています。たったそれだけでも全人類が暮らしを営んでいけるのです。ちゃんと見てみたら、自然は膨大な生産を今でも続けてくれています。人類の生産は、消費することと挿げ替えられた価値観をどのタイミングでまた元に戻すのか。それは生産をする喜びや仕合せをみんなが感じるような社会を気づいた人たちで構築することが最善だと感じます。
暮らしの真の豊かさを知った人たちは、いつかは現在の環境を抜け出し真の暮らしに目覚めるように思います。それが暮らしフルネスです。時間がかかっても、地球と人類への愛のために挑戦を続けていきたいと思います。