カタチをつくる

理解できないものを理解させようと世間に合わせていると、理想から少しずつ離れていくものです。その理由が、今までにないものや現実としては難しいという考え方に囚われていくからです。

現在、成功しているモデルは現代の仕組みの中で成功するものです。例えば、経済などは分かりやすく現代の経済モデルの中でつくられた仕組みはむかしの物々交換のような経済ではなく、金融が中心ですからかつての仕組みでやっていたら全く成功することはありません。しかしだからといってどちらかに偏ってもうまくいきません。なので、現代は折衷案を探して両方バランスが取れるところをやることが精いっぱいです。

しかしたとえば、誰も見たことのない仕組みを考えたとしてそれを実行しようとしたら誰も理解できませんから理解者が出てきません。理解してもらおうと必死に頑張っても、大体よく分からないという反応がかえってきてなかなか前に進まないものです。そのうち、ほら吹きなどといわれ相手にされなくなっていきます。それで折衷案ばかりを探すようになっていくのでしょう。そうなる時は、もう理解してもらおうとするのを諦めて形にしてしまえばいいと私は思うようになりました。

形にしようとすると、その形を観て、人は何かを直観するものです。その人にしかない世界や理想が、何かという姿が少しでも垣間見ることができれば理解しなくても、一緒にやってみようとはするものです。

私も理想を追って真摯に挑戦していますが、時折、色々な方々が来訪されるなかで世間にもっと合わせた方がいいのかなと感じる機会があります。それは色々な会社が関わると、迷惑がかかるのではないかと感じるときがあるからです。しかし、どれだけ世間や周囲に配慮しても結局は理解が追いつかず迷惑をかけることになります。

そう考えてみたら、やっぱりカタチを先に創る方が性に合っているように思います。小さなモデルでも、小さなカタチでもそれができればあとはそれを大きくもできるものです。

主体性や自発性、覚悟や責任などの初心を忘れず自らの手と感覚で実装し実現していきたいと思います。

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