ここ数日、急に冷え込んできました。秋から冬に入ってくるにつれ、空気が乾燥し山から次第に赤や黄色づいた葉が舞い始めます。今のようにカレンダーやスケジュールなどで活動していなかった頃は、この季節の変化そのものが暦であったことが想像できます。
そして同時に、自然界がどのように変化して周囲の生き物たちがどのように季節の準備をしているのかもわかります。人間も同様に、季節の変化に合わせて自分たちも季節が変わる準備を他の生命と一緒に進めていくのです。
これを自然のリズムともいいます。
自然のリズムを持って歩んでいると、心の情緒も一緒にリズムに合わせて進みます。冬は寒さが厳しくなり、それぞれが冬を乗り越える準備をはじめます。私もそろそろ冬支度に合わせて保存食を拵えていくのと合わせて、大掃除の準備に入ります。特に英彦山の宿坊の冬は大変厳しく、ほとんどの配管が凍ってしまいます。水抜きをはじめ、薪などの準備も必要です。
便利になってお金だけあればなんとかなる時代になっていますが、むかしはそうはいきませんでした。自然現象の変化で、冷夏が続くとお米も収穫できず飢饉が来ました。それぞれの大名が備蓄米をしていて、2年くらいはなんとかなるようにして人々と飢えをしのいだといいます。
今の日本は自然のリズムを忘れてしまい、備蓄や保存食などはどこもしていません。また季節の変わり目に、大掃除を数週間続けて調えていくことなどもしていません。企業はほとんど清掃業者任せです。
本来、なぜ自然のリズムである必要があるのか。それはすべての生き物がそうであるように、自然に合わせて自分たちを変化させることで一緒に生き残ることができたからです。自然は絶妙に全ての生き物を平等に活かそうとします。その時々に、困難が来ても、それによって全体最適を創り地球全体がより豊かになるように調和してくれているからです。
調和と共に生きることが自然のリズムであり、調和を乱すのが人間優先の社会ということでしょう。人間優先の社会にすれば、どうしてもバランスに歪がでてきます。謙虚に自然から学び、自然の調和を尊重して自分たちを調えていくなかに人間の幸福やすべての生命を喜ばせようとする徳の循環があるように思います。
徳とはまさに自然の叡智そのものの姿です。
引き続き、徳が循環する世の中を実践して子孫たちへ永続してきたいのちの姿を伝承していきたいと思います。