自律分散という言葉があります。これはよく管理型に対して自律分散といわれることがあります。他には中央集権に対しての自律分散という言い方もします。そもそもこの自律分散というものは何なのか、それを少し深めてみようと思います。
この自律という言葉は、一般的には他の支配を受けずに自律的に規範を設け自分であることをいいます。哲学的に言えば自己の欲望や他者の命令に依存せず、自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うことともあります。シンプルに言えば、自由と同じ定義です。
そして分散という言葉は、一般的には物事が一つの場所や状態に集中せずいくつかの部分に分かれて存在することをいいます。これは物や情報が均等に散らばっている状態です。しかし自律分散とするときの分散はこうではなく、有機的に結ばれて分散するという意味になります。分散だけだと単に散らばっていますが、ここに自律が加わると自由だけれどいつも全体最適になっているという状態になることです。
これは何が最もイメージが近いかというと、自然界です。
宇宙や地球、自然界はすべて自律分散をしています。それぞれの生き物たちが精いっぱいに自分の生を全うしながらも、お互いに律しあいながら和合して暮らしていきます。この時の分散は、バラバラにあるようで実は地球の偉大な循環の一部としてお互いに貢献しあいます。つまりここでの共生貢献は、自律分散そのものになっているのです。
私たちがこの自律分散を人間社会で例えるときは、道徳というものがもっとも近いように思います。自分を律しながら人の道をみんなで実現する。日々の暮らしを調えて、お互いに自己を養い自己を磨き、仕合せを追及していく人の道のことです。
つまり自律分散を目指すというのは、人の生きる道を目指すということです。
私がこの故郷でブロックチェーンに取り組むのも、その技術の理念や理想と現実を一致するためです。この願いの中心には、いのち全体の幸福や人類の真に豊かな未来へ向けての志があります。
実際には、現在の日本社会や消費経済の影響をうけなかなか理解されないものですがそんなに遠くない未来には当たり前に技術と人が調和し、誰にも支配されずに自律分散によってテクノロジーと生きる道が一致する日も来るように思います。
その日を夢見て、今は「徳積帳」からはじめていこうというのが私の実践です。もうすぐ3年目に入ります。色々なご縁が自律分散に磨かれていくのも仕合せです。ありがとうございます。