今週はずっとそれぞれの古民家の煤払いをしています。よく年末の大掃除には早いと思われるかもしれませんが、ギリギリになって歳神様や祖霊を迎えるというのは失礼なるため早めの準備を始めています。また陰陽五行の土の行事でもありますから、丁寧に祓い清めていきます。
もともと日本人は、清め祓うことを日々の暮らしで大切にしてきた民族です。その証拠に、行き届いている古民家はどこも清々しく凛としています。特に正月のしんしんと冷えた空気の中で、千両や万両、あるいは松などの植物を室礼するととても澄み渡る場に心が洗われます。そこにはまるで、何か神聖な存在がたくさん集まっておられるような気配もあります。
英彦山の宿坊などは、正月の間の気配はまるで山頂のような清々しさで静かに手をあわせ祈りを捧げていると歳神様が鎮座している気配です。またお山の山伏たちや祖霊のお接待もするため、御餅をはじめお酒、榊などご用意していきます。
そもそもこれは宗教だから取り組むのではなく、暮らしとして私は取り組みます。暮らしは、単なる行事をすることではなく暮らしそのものが行事のように暮らしていくということです。煤払いであれば、これは煤払いの行事をするのではなく歳神様や祖霊をお迎えするために煤払いという暮らしをしているということです。
そもそもこの目的が先か、方法が先かというのは現代でもどの仕事でも向き合うテーマになっています。生き方が先か、やり方が先かというものもあります。しかし本来は、順番があり心が先で行動が後であるようにまず暮らしが先で行事が後ではないかは私は思います。そうすることが、丸ごと実践で本質で包むようになるからです。
先祖代々、数百年、あるいは千年以上ずっと同じように暮らしてきました。それを今でも丁寧に思い出し磨く直していくことで、懐かしい未来を譲っていけます。未来の子孫たちのためにも暮らしフルネスを実践していきたいと思います。