元氣になる

今年は、親戚の叔父さんが開発した笑みたわわという品種のお米の可能性を深める一年にもなりました。お米作りの方は、ご縁あって無肥料無農薬で13年目になり色々と学んできたことはありましたがその元氣な田んぼで元氣になる元氣なお米をどう日本人の子どもたちに食べてもらうことができるのかを考える一年でもありました。

現代は、便利さを追求し飽食の時代でその素材に元氣があろうがなかろうがすぐに食べれて口に美味しいものばかりが追及されていきましたから本来の滋味深い食べ物が食卓にあがらなくなってきました。病気も薬も病院も増える一方で免疫機能は下がるばかりです。

そんな中で、本来の元氣とは何かということに原点回帰するとそこには医食同源という本質に気づきます。病気の気は、病は気からとあるように気が病みます。その反対に、気が活き活きとしていることを元氣ともいいます。その気の字は、〆るではなく氣にあるように米が入ります。そう考えると、病氣であるとなんだか氣が快復していくような氣もします。

この氣というものの存在は、空氣、大氣とあるように地球には満ち溢れています。その中でいのちは活き活きと躍動しています。その元氣が循環するからこそ私たちは地球と一緒一体になっていのちを豊かに愉快に仕合せを味わうことができるように思います。

その本来の元氣がなぜなくなっていくのか、そこには地球の循環から離れるような生き方、食べ方、暮らし方になっているというのが私が洞察するところです。どんな自然物も、草一本であっても人間には創り出すことはできません。それを創造するのは自然です。そして自然は地球そのものでありこの元が元氣ということでしょう。元氣があるものを取り入れることは、私たちが元氣になっていくということです。

元氣がないものといえば、田んぼであれば農薬や化学肥料などをいれている田んぼのことです。自然の生き物たちを殺し、土を傷め、人間の都合を優先すると元氣から離れます。自然の生き物がいっぱいの田んぼには元氣が溢れています。その元氣を私たちは食べて元氣をいただきます。毎日、私たちが「いただく」ものは「元氣といのち」です。

その元氣といのちを循環するのが、一生を生きるということでしょう。

子どもたちは生まれながらに何を今食べているでしょうか、元氣があるものを食べることができているのでしょうか。色々と考えてみると、今はお金があっても大切なものが失われている大変な時代であることはすぐにわかります。

丁寧な暮らしの中で、本当に大切なものを守り徳を伝承していきたいと思います。

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