浮羽で甦生中の古民家の井戸がようやくほぼ終了しました。あとはポンプと井戸わくを設置すれば完成します。思えば、約1年以上ずっとこの井戸掘りのことをやってきました。古民家甦生も井戸が終わってからと決めていましたからほとんど進まず、焦る気持ちもありましたがこればかりは水神様を先にという周囲の声もたくさんいただき無事にやり遂げることができました。
この井戸を最期まで諦めずに取り組んだ主人と井戸職人の方の想い、そして数々のトラブルがあってもみんなで協力しあってここまでこれたという感謝。決して忘れることはできません。今日はそんな苦労を分かち合い振り返る大切な一日にしようと、願掛けをした神社にみんなでお礼参りに伺います。
私たちのすべてはお水ではじまりお水で終わります。私たちのいのちはお水があってはじめてカタチになりますから、そのお水をいただく處、つまり井處をどれだけ大切にお祀りするかでこの先の年月の安心長久が決まります。
中国のことわざに「飲水不忘挖井人(水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない)」というものがあります。今では、蛇口をひねればすぐに水道水が流れてきます。ほとんど当たり前になって感謝もせず、水道が壊れるとクレームの嵐です。
しかし井戸は、そういう感じがありません。地下から滾々と流れ込んでくるお水の存在に自然に感謝する気持ちが湧いてきます。井戸がある御蔭でと井戸のことをいつも考えます。井戸のことを考えるとき、お水があることの仕合せや有難さを感じます。
少し前までは、私たちの先祖は山の近くで流れてくるお水の周辺で生活をしていました。海の近くは、下流域で川の水も汚れているし井戸も塩が強かったりします。特に都市部は埋め立て地ですから水の確保は難しかったといいます。
田舎にいくとよく観察すると、日当たりや安全などのこともありますがお水をどこから引いてくるかで建物が設置されていることがわかります。お山から流れてくる沢のお水を使って、生活用水を工夫していたといいます。ただ、少ない水量での生活では大変だと時代が進むとともに井戸を掘っていったように思います。
井戸のお水は、使えば使うほどに水の道がととのい安定していくともいいます。火を使い、お水を用いて日々の暮らしをととのえていくのは、とても豊かなものです。
この一年以上信じ続けて湧き出してきた美しいお水を、浮羽でこれから出会うであろう人たちにこのお水をみなさんが飲んで何かを感じていただけるのではないかと感じています。
今日は、改めてこの素晴らしい井處の完成報告の節目の一日として感謝で過ごしていきたいと思います。