寿全う

昨日の深夜に約16年生きた我が家の犬が亡くなりました。真っ白い柴犬で日本的で凛とした佇まいの気の強い寂しがり屋の犬でした。思い返せば、小さいころからよく噛みつき、しつけもなかなか大変でよく怪我をさせられました。家族のみんなから深く愛され、一緒にいつも居たがっていました。旅行の時などは、なぜ連れていかないのかと吠え続けてお土産を持って帰ってきてもいつもふてくされていました。不思議ですが、旅行に行くことや出張にいくことを隠していてもなぜかバレていて出発まじかになるとかなり怒って吠えていたのが懐かしく思います。

山に登山にいけば、迷子になったり、あと首輪をとっては脱走して探し回った記憶がたくさんあります。その中でも印象深かったのは、保健所で保護されたときと、高齢になって迷子になり溝で発見されたときです。飼い主の監督不行き届きだといわれるかもしれまんが、犬はどれだけ頑丈なものでつなぎとめたとしても時折想像をつかないような本当に大きな力で首輪をとったり、鎖を切ったりします。探す方も、必死で事故にあっていないか、何か辛い目にあっていないかと、心配で眠れず、見つかったときは神様に感謝して涙を流します。

今回は天寿を全うしてどうしようもありませんでした。人間の年齢であれば75歳くらいです。最後は眼も見えなくなり、耳もほとんど聞こえず、後ろ足も立たなくなりよぼよぼでご飯は食べていましたが最期を悟っていたのか、この数日だけは何かに呼ばれているかのように深夜にずっと吠えては必死に何処かに行こうとしていました。

もう犬が先に寿命が尽きて亡くなるのを3回ほど観てきました。どの犬も長生きで亡くなるときはあまりにも悲しくてもう飼わないと涙するのですが一緒に過ごした期間の仕合せで豊かな思い出が幾度となく思い出されまた犬を飼ってしまうのです。うちに来る犬はどの犬もとても忠実で正直で真心と愛情があるものばかりでした。家族の一員として、いつも人数に数えるほどに親しい存在がいなくなるのはとても辛く寂しいものです。残った犬小屋や残置物の余韻が、数か月ほどは残像が宿ります。

すべての生き物は必ず死にます。輪廻転生してはまた別の身体を得て、新たな生を全うします。寿命が全うできるということはそのお役目を生きたということでもあります。大切な存在が増えていくというのは、それだけ大切な存在と別れることもあるということです。しかし、その存在があった御蔭で自分が形成されいつまでもその存在と一緒に生き続けている自分にも新たに出会い続けます。

感情は愛情を伝えてきますが、記憶の中でいつまでも生き続けている彼と共にこれからの先の人生を私も見倣って全うしていきたいと思います。

ありがとうございました。またあの世での再会を楽しみにしています。

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