司馬遼太郎の「坂の上の雲」があり、3年間がかりでNHKから放映されいよいよ本日最終回を迎える。よく考えると3年連続でこういう映像を観てきたことはなく、一緒に番組を創っているかのような錯覚もあるのも面白い体験になった。
何か一つのことを長い時間かけて取り組むというのは、その間に様々なドラマを共有するということになる。その中で出逢いと別れがあり学び成長しながら様々なことを体験して今というものが存在しているのであろうとも思う。
この今があるのは、昔の出来事の御蔭でありその昔の体験が今に生きているのだから今生きているものたちの責任としてこの今はどうするかこの今、此処に懸かっているといってもいいのであろうとも思う。
日露戦争を題材にして色々なシーンが描かれているけれど、戦争というものは美化できるものではなく悲惨極まりないものであるのはよくわかる。私の祖父も戦争体験者であったけれど幼いころに戦争の話を聴いても何一つ答えてはくれなかった。ただ、寡黙に厳粛な顔をするだけで何も語ってもくれなかった。ただ、もう一度シナに行きたいといっていたのが印象的だった。
戦争というものは異常なことで、人が人を殺めるということが正しいことだとさえ錯覚してしまう。教育により、またそういう思想を植え付けることにより人がどんどん死んでいくというのは悲しいことです。
もう二度と戦争はしてはいけない、そうしないでいい世界を創ることの大切さを感じます。
権力というもの、強大な力を持つということはそれが心で制御できないと結局は人間により人災を及ぼすことは簡単に理解できる。 やはり心の成熟が先であろうとも思うけれど、そのためには数々の失敗から学んで成長していくことしかないと改めて感じる。地球の生長も生命の生長もそれは学び続けていくなかで実体験していくしかないのであるからその時代時代に生まれたものたちはそれを善く理解しそれを深く学んでいくしかないのである。
そして戦争をはじめ命を失っていく多くの犠牲の上に我々が今立っているところを観ると何でもそう簡単に諦めてはいけないし、自分の都合でいい加減に冷めたことを言ってはいけないのは誰でも自覚できるはずです。何が何でも先の人たちの努力を無駄にはしないという残ったものたちの意志とそのために散っていた人たちの意志を守り抜くことが今生きている人たちの生きる証であろうとも思います。
それぞれに役割を果たしていくというのはそれぞれが今を生き切ることなのだと思います。
そこに自ずから使命というものの意味を感じることができるのだと思います。
多くの人たちが散っていった命は、私たち子どもたちのために使われたのです。
だとしたら、今の人たちがより善い国にしていくことをやっていかなければなりません。
もう一度歴史から私たちは自分の生き方を問い直していく時期にきたのだと思います。
このタイミングで色々なことが動くことに感謝しています。
まずは自分の身の周りから足下から見つめ直していこうと思います。
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かんながら面談やチーム内省など客観的に見ることの大切さを感じています。個人を好きか嫌いかではなく、理念においてどうだったのかを考える時間は、個人にとっても会社にとっても理念を達成するために貴重な時間だと感じています。余裕のない時にチーム内省に臨むときの心境はあまり気持ちのいいものではないですが、個人としてではなくチームとしてどうだったかを振り返ることは、どこか救われるような気持になります。
映画やゲームなどで3D映像が盛んに取り上げられていますが、3D映像も人によって見え方に個人差があるようです。見え方に個人差があることを思うと、お互いの役割を明確にすること、お互いの意見を交わすといった今社内で取り組んでいる形も大切なのだと思います。
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いまの自分の豊かさは誰のしたにあるのか。
紡いでいただいた方々のお陰であり、その永続性を大切にしていきたい。
しかし、いまの自分は、その豊かさに、かまかけ、永続性をしっかりと考えて居ないと感じます。時代と永続性とのバランスは難しく感じますが、次の子ども達の世代を考えた行動を洗濯して行きたいとおもいます。
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戦争は良くない事というのは、理解しているつもりですが、世界を見ると、様々な場所で争いが続き、弱い女性や子どもたちが犠牲になっているという事に気づかされます。その中で今自分が何が出来るのか?戦争の経験もない私たちが今出来る事、それは日本人として受け継いできた心の部分ではないかと思います。人として正しくいく生きるとはどういう事なのか、先ずは自分自身が実践し子どもたちに大切な部分を渡していければと思います。