政教の問題

国家と宗教というものはむかしからかなり密接な関係を持っているものです。そもそも権力や権威というものは、何が正しいか、そしてどれだけそれが真実かということが人が人を信用する柱となります。人はどちらが正しいかで常に力を折衝していく存在です。

歴史を辿れば、政権が変わるたびに国家が主とする宗教も変わっていきます。現代においても、世界は大きな宗教が分かれせめぎ合いをしています。ここスリランカでも、国民の70パーセントを超えるシンハラ人の仏教がありそれ以外の宗教と様々な問題が発生しています。内乱を終えてもなお、新たな国家と宗教の在り方は微妙なバランスで問題を引き起こし続けます。

そもそも古代においては、神と政治とは分かれていませんでした。大和の国をはじめ世界の国々では王と神は一致していましたし、巫女などその関係を結ぶ存在でした。しかしそれが政教分離という権力と権威などが競うようになり、宗教と政治がぶつかり合うようになります。さらには、そもそも人が神のような力を持つような錯覚や洗脳もうまれ、それがテロや内戦を引き起こしています。

国家というものが、差別や不満を生み出すようになることで人々をどう管理するか、統制するかということをその時代時代の権力者たちが知恵を絞って今のかたちになっています。しかし矛盾をはらんだその統治方法は、時間が経てば崩壊しまた同じことの繰り返しです。

以前、カンボジアに訪問した際も政権が変わるたびに宗教が変わるため石像が壊され、時には改造されて歪な石像ばかりになっていたのが思い出されます。結局、何を信じる人々かという自分たちを正当化するために国家が宗教を利用します。そして宗教もまた、自分たちの存在を正当化するために国家を利用します。

政教一致も政教分離も、その実際は自己正当化の手段に過ぎないということでしょう。すぐに人間は、二つに分けては無理やり正当化しあい競争しますがもっと偉大な存在、例えば自然や宇宙といった分けることができないものを信じることで原点を学び直すことが必要ではないかと思います。

この先、分裂したものを無理に一つにしようとするよりも本来はどうであったかと原初の記憶を思い出し、みんなでよく考えて覚悟を決めることのように思います。結局、人間がいなくなったあとにこの地球はどうなっているのか。よく考えて、人間らしさとは何か、人間性とは何か、子どもたちの未来のためにも向き合っていくチャンスだと思います。

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