真実の確認

今回のスリランカの旅は、今まで解明できなかった謎への解明でした。日本で色々と突き詰めても、その元に辿り着くことは簡単ではありません。歴史の変遷のなかで、途中で改ざんされたりあるいは、他の何かと混淆したりするなかではじまりはどうだったのか、そして本当はどのように意味だったのかは伝わっていません。

元々、真実というものも文章や文字では残りません。文章や文字は便利な道具ですが、そこには智慧そのものにはなりません。智慧そのものを確認するとき、智慧その物から伝承できるのです。

そもそも現代人は、自分で確認をしません。自分で確認しないから真実や智慧にも辿り着きません。確認というのは、自分の五感を含めたすべての器官を駆使して確かめるということです。それを誰かに任せずに、自分で全て確認するということです。

自分で確かめてもないものを誰かの知識だけで鵜呑みにするのは大変危険なものです。

人は確認するとき、ではどのように確認するのか。私の場合は全身全霊で確認します。それは脳も使って調べますが、自分の中で一つ一つのことを結びつなげていきます。また原初の記憶を辿り、原初がどうだったのかを調べます。

この原初というのは、はじまりの記憶のことです。物事は最初にはじまりがあり、そこから未来に結ばれます。その最初を知るというのは起源を知るということです。起源を確認しなければ、本当の意味で主体性が発揮するともありません。起源とは、元々のことですべての根源のことです。

確認するのは、人生も同じです。

自分で自分の人生を常に確認することで自分がどこに向かい何が原点なのかに気づきます。人は確認をするのを自分でやめることから世界を歪めていくようにも思います。

一つ一つは些細なことでも、自分の眼と手と足と五感、そして魂や心など全てを使ってこれからも真実を確認していきたいと思います。

 

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