人にはそれぞれに使命があります。自分を生きるというのは、自分を知り自分であるということです。現代のような競争社会の中では、気が付くと自分であることを見失っていくことも多いように思います。さらに評価にいつも晒されているようなところにいればいるほどに自分のことが分からなくなるものです。
承認欲求や自己肯定感のなさなどもこの自分というものの認識に大きな影響を受けているのもわかります。しかしよく考えてみると、人にはその人にしかない人生を生きていくしかないことは分かります。他の人にはない何かその人にしか感じられないものがあるからです。
同じ体験をしても、まったく同じことを感じることはありません。この世に同じというものは一つとしてありません。似ていることや共感することはあったとしても同じではありません。もっと言えば、いくら機械で同じ物質を生成したとしても見た目も分析も同じに観えても同じ時間ではありませんし、空間でも同じことはありません。
私たちの認識として同じであると認知したのは実際には錯覚です。みんな種別や種類を分けて同じ科目に分類してさも同じように認識してきたから同じと思い込みます。植物でも動物でもヒト科においても、特徴が似ていたら同じとします。しかし細胞一つ、指紋一つ、葉っぱ裏の葉脈一つ同じものは一つとしてないのです。
この同じものがないという事実を悟るのなら、自分を知るということがどういうことかという根底の価値観が変わります。そもそも同じではない、ではみんなそれぞれに使命があり役割を生きていると思うのです。
さらに言えば、自分には自分にしかできない大切な意味があり自分らしく自分を生きる使命があると自覚するのです。この使命感というのは、何処から来るのか。それは、自分の体験を深く味わうとき、あるいはご縁の妙味を感じるときに実感できます。自分の体験をすべて自分にしかない大切な経験だとし、丸ごと受け容れるときいのちが活き活きと輝くからです。禅語に主人公とありますが、自分が常に主体的に主人公でいる人は比較や競争、承認欲求の刷り込みが入りません。
本当は、そういう社会があったころはみんなはそれぞれに大切な使命を生きてみんなで活き活きと助け合い生きていくことができました。現代のように富が独占されたり、いのちが単なる物のように扱われることもなかったのでしょう。
子どもたちの未来のためにも、いのちが活き活きと活かされ合いそれぞれの使命と天寿を全うできる世の中にしていくために暮らしフルネスを実践していきたいと思います。