場の祭典

妙見神社の例大祭があり奉納舞や奉納演奏の演者たちが今日から準備で場に入ります。毎年、即興舞や即興演奏が中心になっていますので場も一期一会です。即興というのは、その時に降りてきたものでという具合ですがそこまでには膨大な情報が集まっています。実際には、例大祭は同じ日に毎年行う神事ですがその中身は常に変化を続けています。

同じ例大祭をしたことは一度もなく、環境は改善していきますから似たものが多くあったとしても意味や本質を変えないために大きく変化を続けています。この変化は成長でもあり、磨かれている今でもあります。

特に5年間、演奏舞を続けてくださっている龍の巫女はこの神社のある場と相性がよくいつも喜んでいることがよくわかります。それは場が落ち着き、場がおもてなすのがわかるからです。

その理由は、私は場道家であり場を常に読みます。これは特殊能力なのかもしれませんが、その場にいくと場を感じる力が発揮されます。時には未来が読めたり、またある時には何があったのかという歴史を読めます。空間認識能力ともいうのかもしれませんが、空間そのものを丸ごと認識することが得意ということです。

即興演奏のピアニストの方も同様に空間認識能力を持っています。空間そのものを音にされるのです。なので、言い換えるのなら場を読み、場を調え、場を創るのです。

場の道場で行われる例大祭は、場の祭典でもあります。

場を鎮め、場を清め、場に還る。

自分の居る場所は、地球の一部であり宇宙の一部です。この今自分が確かに居る場を丁寧に祈れば、世界を祈り自然を癒します。実践というものは、空想や妄想をするのではなく脚下の実践を一人一人が丹誠を籠めて取り組む真っただ中にこそあります。

いよいよ五周年を迎え、心新たに龍と共に修行を続けていきたいと思います。

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