今朝、窓を開けると冬の美しい純白の風景と合わせて透明な光が差し込んでいます。昨夜のお月さまも綺麗でしたが、この時季の光とお水との調和は清々しさを増していきます。
私たちが清々しいと感じるのは、この光と水の調和、さらに言えばあらゆる自然の調和が合わさるときにこと実感するものです。この調和というのものを感じるのは心を感じることからはじまります。
心が何を感応したのか、光を観る時、光の何を観ているのか。そして雪を観る時、雪の何を観ているのかということです。あらゆる存在を遍く照らす透明な光、そして丸ごとすべてを包み込むお水。その中にある自然に私たちは心の和合を覚えます。そこには目には観えないハタラキがあり、全て同じ粒子が波打っています。
素直さというものを磨いていくとき、人はいのちの存在に気づきます。いのちは渾然一体であり、バラバラではなく調和しています。それを活かしあうとき、私たちは徳の循環を感じるものです。和の尊さ、それが私たちのご先祖様たちが最も大切にしてきた生き方です。
今はまさにいのちを見つめ直す時代です。それだけいのちに包まれていることを人間が忘れた時代ともいえます。つまりいのちとは何か、いのちを見つめる視点、いのちを知ろうとする原点から学び直すのです。
そこにはいのちの根とつながる暮らしが大切です。
そしていのちの根がつながれば、あとは克己の工夫が必要になります。それが暮らしフルネスとも言えます。畢竟、環境や自然が問題になったことは宇宙創生いらい一度もなく、すべての問題は人間の問題があるだけです。
だからこそ、人間がいのちという存在に目覚めてみんなでいのちを輝かせていくことが人として生きる使命だと感じます。
だからこそ私は、私の居る場を「人間のいのちの拠り所」にしたいと思い今があります。
今はこの世に亡き、私の大切な御師匠さんは今は「光」になりました。今朝の光は、御師匠さんの光です。いつも見守ってくださって感謝しています。今日も、いのち輝く宇宙の光の中に入り、かんながらの道を歩んでいきたいと思います。