石から学び直す

英彦山の守静坊の石垣を修復して甦生していますが、情報量が多くてなかなか技術が追いつきません。今では機械でもなかなか持ち上がらないような巨石をどのように石垣に配置していったのか、運び方、積み方一つにとても繊細でダイナミックな意識があることがわかります。

私は元々、こういう技術を倣ってはいませんが先祖はノミを用いて石工にも関わっている一族でしたし石の研究はずっとしていましたから石の声を聴いて石と対話するのは得意な方です。

自然石を積み上げていく仕組みは、石を見ながらやっていくのですがまるで生き物のように周囲に顕れてくる英彦山の石をどのように組み合わせるかはなかなか至難の技です。それを先人たちの智慧や組まれた様子をよく観察して組みあげていきます。

組んでいくのは、しっくりと来るまで何度もやるのですが問題はその石の重さです。合気道を倣って石を運ぶことが少しは楽になりましたが、それでもとても一人二人で運べる重さではありません。現代の道具も活用しながら取り組みますが、落としたり転がったら大怪我をします。

自然と対話しながら取り組むというのは、自然の智慧を習得しながら取り組むということです。特に英彦山の石組の先人たちは偉大で、尊敬の念しか湧きません。

現在、薬草園を創っていますがその周辺の石垣の修復も進めています。人数を集めて、みんなで少しながら調えていきます。

むかしの人たちは多くの人たちが気持ちを合わせて協力しあって自然のなかで大きなことを成し遂げていきました。蟻のように小さな存在でも、協力しあえば大きな存在と同じ力を発揮します。

協力や、心を合わせること、また偉大な力を発揮することはロストテクノロジーになっては残念なことです。経済効果を優先して、効率や簡単便利に何か石油や電気などの動力を使うことばかりに進化してきましたがそれでは自然の中では人間本来の力を発揮することはできないのではないかと私は思います。

先人に倣い、先人の智慧を学び、子孫へ人間らしさや人間の徳性、人間の潜在能力なども伝承していきたいと思います。

石から引き続き甦生を学び直します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です