何かの出来事が発生する時、その意味が本当は何かということを観察します。思い返してみると、出来事はご縁というものを直観するために発生するものです。それは小さな微細なものから、衝撃的で大きなものまであります。しかしそのどれもが、必然であり一つの偶然もありません。
例えば、自分の両親がめぐり逢い私が誕生します。めぐり逢うタイミングはまさに一期一会で、様々な出会いを積み重ねて二人は出会います。そして結ばれ私につながります。一つの感情的な出来事も寸分たがわず必然的に発生し、あらゆる困難を乗り越えて奇跡のめぐり逢いで完成しています。
ご縁というのはそれだけ人智を超えた偉大なものです。
そう考えてみると、今の私の人生も同様にこの人智を超えた偉大な真っただ中にいるともいえます。それは一言で表現すれば「お導き」というものです。
このお導きというのは、そうなるように導かれているというものです。これは必然を意味する言葉でもあります。通常、何かの出来事があったときその意味が何かを考える前にそれに動揺します。でもそこに何らかのお導きでそうなったと思えば、安心の境地を確認することができます。
この安心の境地とは、お導きにお任せするという心境や覚悟のことです。
ただお任せするというのは、確かに人智を超えた偉大なものを信じてお導き任せていくという身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという力が抜けた気楽な心境ですがだからといって何もしないわけではりません。
目の前に発生する出来事に対して、どれだけ素直であったか、謙虚であったか、あるいは正直であったか、真心を盡したかが問われるのです。人生を真摯に生き切る、そして今に集中するという生き方の実践の質が影響するのです。
時には選びたくないものや。時にはどうしても手に入れたいもの、あるいは逃げたいもの、避けたいものもあるでしょう。しかしそのどれもをお導きと感じて「引き受ける」という覚悟でやりきったかがその実践ということになります。
そしてお導きにどれだけ信仰してきたかで、本当の意味に到達します。意味を知り、人は妙味を自覚します。人生とは、道中であり旅であり、學びです。
一期一会に感謝しながら、真心の日々と人生の妙味を楽しんでいきたいと思います。