「ありがとう」という言葉には様々な深さがあるということを話す機会がありました。感謝の度合いと広さともいうかもしれませんが、どの領域までの感謝があるかで感謝の意味も変わってきます。
同じありがとうという言葉でも、意味が変わってくるものです。例えば、ありがとうの段階には一般的には、結果に対する感謝、行動に対する感謝、存在に対する感謝、逆境への感謝、万象への感謝があるといわれます。最初は、何かの結果にありがとうと言いますがそのうち行動してくださったこと、そして存在価値に気づいてありがとうをいいます。さらには自分に与えられた境遇に感謝し、すべてのものに感謝できるという段階です。
感謝が磨かれていくと、自分にまつわるすべてのものがありがたいものであると実感できるようになるということでしょう。これは一般的な感謝の段階ですが、実際にはこれ以外にもたくさんあります。
先人からいただいているあらゆる恩恵への感謝であったり、奇跡のようなご縁に包まれていることへの感謝であったり、あるいは感謝できることに対しての感謝であったりと、他にも色々なありがとうがあります。
私たちの会社は、口癖で「いつもありがとうございます」というのをよく使います。別に誰かが指示命令したことは一度もなく、いつからか気が付くとみんなが使っていました。またありがとうの機会が多く、他の会社やインターンの人たちからもありがとうをよく使っていると指摘されることがあります。
これはきっと「讃給」といって私たちの会社では毎月、みんなに御礼と手紙を書く文化があるからではないかと思います。そのことに由って、感謝が磨かれ自然にいつも有難いと思うようになったように思います。
このありがとうや有難いという感覚は、そのまま幸福度に直結しています。仕合せとは、有難いということに尽きるということでしょう。
最後に、私が好きな西行の言葉です。
「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
感謝にも境地の体得というものがあります。遊行を通じてどのような体験をしたのかはわかりませんが、偉大な大勢の見守りに感謝できる自分でいたいと思います。