伝統食の智慧

昨日は、古民家和楽で長野おばあちゃんに来ていただき仙人苦楽部を行いました。この和楽は江戸時代くらいからある古民家で、土間がありむかしの風情のままに今に甦生されている場です。今回は、伝統食の智慧を学び、みんなでむかしながらの高菜漬けの漬け方を実践で取り組んだりしました。

長野おばあちゃんが産まれた頃は今から約95年前です。その頃のお話をお聴きしていると、都市と田舎の生活もまったく異なり食べ物が少なく苦労していた時代だったことがわかります。世界恐慌もはじまり、その後に戦争に突入していきます。今も少しその時の様子と似ている模様もありますが、その当時の人たちがどのように生き延びてきたか、何を食べて、何をしてきたかをお聴きできる貴重な機会になりました。

私が最も今回の体験で印象に残ったのは、むかしの調理や加工と今のものでは異なるということです。今は、物が溢れお金で何でも購入して調理加工します。自分で生産したものを調理加工することはほとんどありません。切り干し大根一つでも、今ではお店で買ってきてそこから調理します。しかし、むかしは特に田舎では都会と違って買い物するところもなく、大根を育てて収穫したものを切り干し大根にして調理していました。

先人たちはどのように生産したものを調理加工したのかとよくよく観察していたら「捨てないため」であったことがわかります。つまり旬の短いお野菜などを保存したり、傷んだところや傷がついたものも何かに使えないかと試行錯誤して調理加工をしました。そういうものは、捨てるものではなくさらに美味しいものになり宝のようにしていきました。同時に、心身にも健康でお薬のようにもなりました。

それが伝統食の智慧であるということです。

私は、和の精神の一つを「禍転じて福にする」ことだと思っています。日本人は、神話の時代から暢氣さや氣楽さを重んじてきました。どんな時でも笑い明るく元氣に和楽の世にしてきました。

そういうところから真の伝統が誕生し、どのように食べてきたかというのが伝統食と呼ばれたのです。伝統食は、単なる物体としての食ではなく、生き方としての食で私たちの先祖から代々連綿を続いてきた食べ方の智慧ということでしょう。

もったいないという精神もまた、この捨てない文化から誕生したものです。最近、断捨離など流行っていますが本来は断捨離ではなく捨てないで循環する智慧を磨くことが私たち日本人の根源にあるものだと私は思います。

これからも長野おばあちゃんがここまで結んで繋いでくださった御恩や恩徳に感謝して、丁寧に次世代へ、未来へと伝統食を磨いていきたいと思います。まずは伝統在来種の高菜から取り組めたことにも心から感謝しています。

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