現在、職員の常駐しない田舎の小さな神社などはその地域に住んでいる人たち、自治会によって運営されているところが増えています。そこでは自治会=氏子という位置づけで様々に地域の活動を分担しています。これを「地縁」といいます。
この地縁は、土地や場所に由来する人間関係のことで出身地や育った場所、現在住んでいる地域など 地理的な要因に基づいて成立している人間関係のことをいいます。
かつての日本では、狭い区域でみんなで助け合って生きていたためお互い様、御蔭様の関係で地縁を拠り所にしていたこともあります。特に善良な名主や村長がいるところでは、安心して暮らしを行うことができました。密接な地域の繋がりによって、生命保険などに加入しなくても地縁によって見守り合う関係がありました。
しかし時代の変化と共に、価値観も変化して今では個人主義で無縁社会とも呼ばれるようになり近隣とも血縁とも疎遠になっています。都会などでは、同じマンションでもほとんど会話をしない人たちも多く、地域の集まりなども参加しない人がほとんどです。その孤独と孤立は、心の病を増加させています。
信仰においては、地域の氏神さまのある神社ではなく、遠い神社や有名な神社に参拝して地域にはいかない人も増えています。同時に、信教の自由ということで別の宗教の人たちは地域の氏神様には敢えて参拝しない人もいます。
本来、神道は宗教というよりは土地や場に対する感謝でみんなでその場所をお手入れし調えて清浄で安心な環境を維持してきた生活習慣でした。また何かの災害時の避難所としても活用され、あるいは自然を守る為の杜としても大切にされました。年中行事なども、地域の智慧や暮らしの伝承でしたがそれも人口減や負担増により行われなくなってきています。
現在は、土地も荒れ、鬱蒼とし不気味な場所になっている神社も多く誰も近寄らなくなってきました。荒れた場所には、不浄がつき纏い、犯罪や事件なども増えていきます。神社の荒廃がそのまま地域の荒廃になっています。
そもそも神社とは何かということを時代と共に再定義していく必要を感じます。時代が変化すれば、当然、価値観も変わります。本質を変えないためにも、価値観そのものの変化に気づいてどうやったらかつての本来の役割を保ちながら新たに今の人たちが地縁に喜び、自然を守り、災害の時のコミュニティになり、安心基地や安全地帯にできるかを制度や仕組みそのものから抜本的に変革させていく必要があります。
価値観というのは、ある意味思い込みと刷り込みです。自分の決めつけてしまっているその価値観をどう柔軟に変化させていくことができるか。無理に変えよといったら、しがみつくように手放さないというのもこの価値観です。
自然に価値観を変えるには、新しい価値観が楽しい、素晴らしい、学びになる、喜びとなると感じてもらうように場を創造していくことが何よりも近道です。楽しそうに取り組む人たちは主体性があり、やらされているわけでもありません。
伝統は変化しますが、それを仕方なくやらされていたらそれはもはや本来の伝統ではりません。伝統とは革新すること、常に本質を変えないために新しいことに挑戦し続けることです。それを先人たちがやってきたからこそ、今の伝統があるからです。
新しいことへの挑戦は、わくわく感やどきどき感から発生します。能動的に主体的に取り組むのは趣味のように思われますが、その楽しさこそが価値観を変化させます。
あなたのしき、あなおもしろきと、先人に倣い新たな時代の地縁に取り組んでいきたいと思います。