孤高の境地

老舗には、今でも代替わりというものと隠居というものがあります。これはその代のご当主が隠退して次の代に暖簾を守ることを託し譲る行為でもあります。むかしは、早い段階で隠居して次の代を見守りました。この隠居というのは、家制度を持つ日本の伝統的な仕組みの一つでもあります。

生前のうちから家を支える大黒柱を次の代に交代するのです。家を支える中心から離れたところから家を見守る役割に代わるのです。この仕組みは、私はとてもいい伝統文化であると感じます。

現代では、あまりこの代替わりや隠居というものが伝統的なものとしてではなく単に会社であれば財産や代表者、責任者が交代するという具合なもので理解されています。

しかしかつては家という単位で、家族として生計を立て一族単位で生業をする頃はこの代替わりはとても大切な行事だったように思います。幼い頃から次の代のために指導され、その機会に触れることで一家を守る事、暖簾を守る事、基本や基盤、初心が心身に沁みこんでいきます。

自分の代になることの意味や価値、使命も育ちます。最初から柱の一つとしてどう振舞うか、大黒柱として何が大切かを學ぶのです。

そして隠居する側は、より目指した孤高の境地に挑戦していくことができます。本来の自分、自己の実現、自分らしい人生の集大成に入ります。

この孤高の境地とは、「孤高」は世俗から離れて超然としていることをいいます。しかしこの世俗から離れてというのは、世間を捨てるということではありません。世間を超えるというのが私の感覚です。

これは仙人の境地でもあり、本当のこと、真実を見極め見定めるあるがままの自然体になるということです。そういう境地でなければ、代々を見守ることはできません。永続するような伝統は、常にその孤高の境地をもった人物たちによって見守られ維持されてきました。

隠居や隠退というのは、単に世間を捨て世俗を捨てたのではなく実際にはその逆で世間を見極め世俗を究めたということでもあります。

孤高の境地とは、何ものにもとらわれないであるがままの自然、かんながらの道に入るということでしょう。

これからの一年、隠れることの本質を探究していきたいと思います。

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