徳の中心

嘘をつくなというのは幼い時に親に教えられるものです。嘘というのは、本当ではないということです。本当ではないというのは偽物ということです。本物は嘘がないということです。嘘がないというのは、ではどういうものをいうかといえば自分の心に嘘がないということです。これは正直であるということです。

正直というのは、どんな状態でも正直に生きるという生き方のことです。正直に生きる人のことを誠実ともいいます。誠実な人は、自他ともに信頼されます。自己を信頼できる人は、他人からも大いに信頼されるのです。

生き方を貫いている人は、その生き方ゆえに嘘がありません。日々に、自分の心に確認してその心が正直であるように努力精進していきます。正直であるからこそ、信頼されその人は社會に認められます。

また正直にも感謝と同じように段階があるように思います。

例えば、最初の正直は他人に誠実であることから始まり深い正直さはどのような環境や状況であっても自己に誠実であり続けるということです。

実際には今の世の中は、食品偽装や医薬品や化粧品、環境商品や政治をみても残念なくらい嘘だらけです。防腐剤化学調味料無添加と謳いながら実際には本来のむかしながらのつくり方をしません。漬物であっても、現代のお金にするためにはあり方を換えても世間の声や便利さを優先します。お金にならなければ生きていけないから、これくらいはいいだろうと嘘をつきます。そして購入する方も、嘘が入っていることは当たり前だろうとそれでもこの程度の嘘ならと気にしなくなっていきます。

人間の欲望によって、正直さは歪められていき他人や周囲が納得していればそれも正直でいいと正直が流されることや、大多数に合わせること、仕方がないと妥協することが正直さと誤認されるようにもなりました。

そうしたのは、嘘をつくなといった大人側の責任でもあります。

そう考えてみると、むかしの人たちは道徳を子どもに教えるとき自分自身のことを深く反省していたからこそ、そして生き方や実践をしていたからこそその意味の大切さを知っていたように思います。

西郷隆盛がお母さんや郷中教育から「嘘をつくな、負けるな、弱いものをいじめるな」と教わってきました。その結果として、信頼される人物に育っていきました。人間がどうあるかというのに、複雑な教育メソッドなどは必要ありません。

もしこれだけはと選ぶのなら、やっぱり「嘘をつくな」というのは一番なのかもしれません。実際には、嘘をつかないとなると本当のことを直視して本物になる努力が今の時代は必要です。

何が本物で何が偽物か、何が本当で何が嘘かを見抜く力も必要です。本質を學ぶことや、元々何かという根源を學ぶことも大切です。そして何が自然かという自然観も養う必要があります。また真実の歴史を深めることも大事です。

人間らしさは、正直さの中にこそあります。

正直はまさに徳の中心です。

徳を磨いて、正直の実践を積んでいきたいと思います。

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